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(→食文化の背景) |
(→代表的な料理) |
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*大田駅構内のカラッククス | *大田駅構内のカラッククス | ||
− | :かつてはソウルから鉄道で全羅道地方に行く場合、分岐駅である大田駅で方向転換をするため機関車の付け替え作業を行う必要があった。この時間を利用して乗客が駅のホームに出て、カラッククス(うどん、가락국수)を立ち食いしたことから、駅の名物として知られるようになった。1970年代後半によく利用したという人の経験談によれば、「ソウル駅から[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[晋州市の料理|晋州市]] | + | :かつてはソウルから鉄道で全羅道地方に行く場合、分岐駅である大田駅で方向転換をするため機関車の付け替え作業を行う必要があった。この時間を利用して乗客が駅のホームに出て、カラッククス(うどん、가락국수)を立ち食いしたことから、駅の名物として知られるようになった。1970年代後半によく利用したという人の経験談によれば、「ソウル駅から[[慶尚南道の料理|慶尚南道]][[晋州市の料理|晋州市]]まで行く際、途中の大田駅で立ち食いうどんを食べるのが楽しみだった。鉄道はゆっくり発車するので(むしろ早く乗れとの合図)、器を持って食べながら乗り、窓から器を投げて返却した。当時は確かにカッキウドンと呼んだ」と振り返る(八田靖史の取材記録より、2019年6月14日)。なお、ホーム内のカラッククス店は1998年に店を閉じたが、2013年に駅構内の飲食店として「大田駅カラッククス(대전역가락국수)」がオープンしている。また、大田駅前にもカラッククスを提供する飲食店や屋台が集まる。屋台には日本語のかけうどんが転化したカッキウドン(각기우동)との表記も見られる。 |
*日本統治時代の駅うどん | *日本統治時代の駅うどん |