「釜山市の料理」の版間の差分

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== 食文化の背景 ==
 
== 食文化の背景 ==
 
[[ファイル:17111703.JPG|thumb|300px|ヒラメの刺身]]
 
[[ファイル:17111703.JPG|thumb|300px|ヒラメの刺身]]
海に面した港湾都市として発展し、韓国最大の水産市場であるチャガルチ市場を有するように、新鮮な刺身([[회]])をはじめとした魚介料理が発達している。チャガルチ市場の近辺や、海雲台、広安里などのビーチ沿いには多くの刺身店が並んでいる。また、1950~53年の朝鮮戦争によって北部からの避難民が釜山へと多く移り住んだことから、[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]や、[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]など、北部地域由来の料理が郷土料理として発展したのも大きな特徴である。貿易港であるため外国料理の流入も多く、日本から伝わった[[オデン(おでん/오뎅)]]が深く食文化に根付いたほか、釜山駅前には中華料理、ロシア料理をの専門店が多く集まっている。
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海に面した港湾都市として発展し、釜山を代表する水産市場のチャガルチ市場を有するように、新鮮な刺身([[회]])をはじめとした魚介料理が発達している。チャガルチ市場の近辺や、海雲台、広安里などのビーチ沿いには多くの刺身店が並んでいる。また、1950~53年の朝鮮戦争によって北部からの避難民が釜山へと多く移り住んだことから、[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]や、[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]など、北部地域由来の料理が郷土料理として発展したのも大きな特徴である。貿易港であるため外国料理の流入も多く、日本から伝わった[[オデン(おでん/오뎅)]]が深く食文化に根付いたほか、釜山駅前には中華料理、ロシア料理をの専門店が多く集まっている。
  
 
*朝鮮戦争の影響
 
*朝鮮戦争の影響
:1950年に始まった朝鮮戦争の影響により、一時釜山は陥落したソウルにかわって大韓民国の臨時首都となった。このとき各地域からの避難民が多く釜山へと押し寄せたが、この中には平安道、咸鏡道、黄海道といった北部地域の出身者も多かった。その後、南北が分断されたことによって故郷に戻るすべを失った人々は、そのまま釜山に定住し、現在に至っている。彼らが故郷の味を懐かしんで作った料理のいくつかは、釜山の郷土料理として定着するに至った。[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]や、[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]といった料理がその象徴的な存在である。
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:1950年に始まった朝鮮戦争の影響により、一時釜山は陥落した[[ソウル市の料理|ソウル]]にかわって大韓民国の臨時首都となった。このとき各地域からの避難民が多く釜山へと押し寄せたが、この中には平安道、咸鏡道、黄海道といった北部地域の出身者も多かった。その後、南北が分断されたことによって故郷に戻るすべを失った人々は、そのまま釜山に定住し、現在に至っている。彼らが故郷の味を懐かしんで作った料理のいくつかは、釜山の郷土料理として定着するに至った。[[テジクッパプ(豚のスープごはん/돼지국밥)]]や、[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]といった料理がその象徴的な存在である。
  
 
*日本の影響
 
*日本の影響
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