「オデン(おでん/오뎅)」の版間の差分

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'''オデン'''([[오뎅]])は、おでん。日本語のおでんという言葉が、韓国でも定着して使われている。オデン([[오뎅]])は料理名だけでなく、オデンに使用される練り製品の総称としても使用される。主に屋台料理として町中で販売され、練り製品を串に刺して煮込み、薬味醤油をつけて食べるのが一般的である。日本料理のおでんに比べると具の種類が少なく、練り製品を主として、稀に餅やコンニャクが同じく串に刺した状態で加わる程度である。大根、卵、はんぺん、ちくわといった日本で定番の具はまず見かけない。屋台では[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]、[[トッポッキ(餅炒め/떡볶이)]]などとともに販売され、オデンの汁はスープがわりに飲まれる。居酒屋などではオデンを鍋料理として提供し、[[オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)]]という名前で呼ぶ。
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'''オデン'''([[오뎅]])は、おでん。日本語のおでんという言葉が、韓国でも定着して使われている。オデン([[오뎅]])は料理名だけでなく、オデンに使用される練り製品の総称としても使用される。主に屋台料理として町中で販売され、練り製品を串に刺して煮込み、薬味醤油をつけて食べるのが一般的である。居酒屋などではオデンを鍋料理として提供し、[[オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)]]という名前で呼ぶ。
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== 名称 ==
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[[ファイル:17020502.JPG|thumb|300px|平壌の冷麺店「玉流館」]]
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オデンは、日本語の「おでん」に由来する。料理名であるとともに、魚の練り製品のこともオデンと呼ぶことが多い。韓国語の固有語では練り製品をオムク([[어묵]])とも呼ぶ。本辞典では「オデン」を使用する。発音表記は[오뎅]。
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== 概要 ==
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[[ファイル:17020503.JPG|thumb|300px|麺作りの様子]]
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オデンは魚の練り製品を串に刺し、煮干し、昆布、大根などを煮込んだスープで煮込んで作る。日本のおでんにルーツがあるが、韓国では主に屋台料理として発達し、[[キムパプ(海苔巻き/김밥)]]、[[トッポッキ(餅炒め/떡볶이)]]などとともに、小腹を満たすための軽食として定着している。日本料理のおでんに比べると具の種類が少なく、練り製品を主として、稀に餅やコンニャクが同じく串に刺した状態で加わる程度である。大根、卵、はんぺん、ちくわといった日本で定番の具はまず見かけない。
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=== オデンタン ===
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[[オデンタン(おでん鍋/오뎅탕)]]は、鍋で提供する一品料理としてのオデン。串に刺した練り製品のオデンを春菊、豆腐などとともに鉄鍋、土鍋などで提供する。オデンタンのタンは漢字で「湯」と書いて鍋料理を意味する。主に居酒屋や、アルコールを販売する屋台などで提供されるメニューである。
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=== 食べ方 ===
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屋台では串に刺さったオデンを自由に取って食べてよい。会計は最後に食べた本数を申告して計算する。
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*オデンの汁
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:オデンの汁は屋台においてスープがわりに飲まれる。紙コップやプラスチックのひしゃくが用意されており、オデンや他の料理を注文した客は自由に飲んでよいことになっている。韓国でも屋台のオデンは冬の風物詩であり、オデンの汁が恋しくて屋台に足を運ぶと語られることも多い。
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*薬味醤油
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:屋台の店頭には薬味醤油が用意されており、串に刺したオデンをこれにつけて味わう。薬味醤油には刻んだ青唐辛子も入ってピリ辛に仕上げてある。店によっては霧吹きに薬味醤油を入れ、シュッと吹きかける方式を採用しているところもある。
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== 歴史 ==
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=== 文献上の記録 ===
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ネンミョンに関する文献上の記録は17世紀から見られ、19世紀以降にその数がぐっと増える。
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*『谿谷集』(1635年)の記述
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:張維によって書かれた『谿谷集』27巻には「紫漿冷麺」と題された五言律詩がある<ref>[http://db.mkstudy.com/mksdb/e/korean-literary-collection/book/reader/8529/?sideTab=toc&articleId=1046227 계곡집] 、한국문집총간、2017年2月4日閲覧</ref>。冷麺に関する文献上の記録としてはもっとも古く、朝鮮時代中期にはネンミョンが一般的な料理であったと推測される。
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*『増補山林経済』(1766年)の記述
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:17世紀末から18世紀初めにかけて洪萬選(1643~1715年)が編纂した『山林経済』には、「木麦麺法」として木製の押し出し機で作るそば麺の製法が次のように紹介されている。「粉にしたそばに水をかけて殻を取り、布の上に広げて天日で干し、そば粉1斗を準備する。皮をむいた緑豆2升を普通のやり方で粉にする。細い製麺機で押し出して白い麺を作ると味がよい。または細かくひいたそば粉に水をよく混ぜて生地を作り、包丁で切ってもよい」(原文1)。この時代にはすでに押し出し式で作る麺が普及していることがわかる。
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::【原文1】「木麥取米作末,水飛鋪布上晒乾一斗,去皮菉豆二升作末如常法,細板壓作白麵味勝,或作末搜水刀切作麫亦佳」<ref>[http://www.koreantk.com/ktkp2014/kfood/kfood-view.view?foodCd=103749 메밀국수] 、한국전통지식포탈、2017年2月4日閲覧</ref>
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*『東国歳時記』(1849年)の記述
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:洪錫謨によって1849年に書かれた『東国歳時記』には、当時の歳時風俗が月ごとにまとめられており、11月の項目にはネンミョンに関する記述がある。文献上におけるネンミョンの記録はこれが初出とされる。「そば麺を大根キムチや白菜キムチを加え、豚肉と和えたものを冷麺と呼ぶ。また、いろいろな野菜や梨、栗、牛肉、豚肉と、油と醤油をそば麺に入れたものを骨董麺と呼ぶ。冷麺は関西地方のものがもっともよい」(原文2)と書かれており、冷麺が冬の季節料理であったことに加え、現在のピビムネンミョンに相当する骨董麺([[골동면]])の存在も見てとれる。もっともよいと書かれた関西地方は、現在の平壌あたりを指すもので、この時代から平壌冷麺の評判が高かったことを示す。
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::【原文2】「用蕎麥麵 沈菁菹菹 和猪肉 名曰冷麵 又和雜菜梨栗牛猪切肉 油醬於麵 名曰骨董麵 關西之麵最良」<ref>최대림(약), 1989, 『동국세시기』, 홍신문화사, P121</ref>
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*『是議全書』(1800年代後半)の記述
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:1800年代後半に書かれた『是議全書』(原著者不詳)の麺部という項目にはネンミョン(原文では令麺)、ピビムネンミョン(原文では汨董麺、부븸국슈)、チャンクッネンミョン(原文では장국냉면、肉スープの冷麺を意味する)の調理法が紹介されている。それぞれの記述は以下の通りである。
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#ネンミョン「澄んでさっぱりとしたナバッキムチ(ダイコンを薄く切り多目の塩水でつけたキムチ、[[나박김치]])や、よくできた[[トンチミ(大根の水キムチ/동치미)]]の汁に蜂蜜を足し、麺を入れて味わう。上には牛肩バラ肉、梨、丸ごと漬けた白菜キムチの3種をすべて千切りにして載せ、粉唐辛子と松の実を振る」(原文3)
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#ピビムネンミョン「牛肉は細かく刻んだ後、薬味ダレに漬けて炒め、緑豆モヤシとセリは下茹でする。ムク(緑豆などのでんぷんを固めたもの、[[묵]])を和え、薬味ダレを整えておき、麺を混ぜて器に盛り付ける。上には肉を炒めたものと、粉唐辛子と、すりごまを振りかけるが、食卓に供する際には澄まし汁を一緒に置く」(原文4)
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#チャンクッネンミョン「肉の澄まし汁を冷やして麺を加える。上には塩でさっと漬けてキュウリを洗って絞り、さっと炒めてすりゴマ、粉唐辛子、油、醤油で和えて、細切りにした牛肩バラ肉と一緒に混ぜて載せる。また、その上には糸唐辛子、イワタケ、錦糸卵を載せる。エホバク(カボチャの未熟果実、[[애호박]])もキュウリと同じく炒める」(原文5)
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::【原文3】「청신한 나박김치나 좋은 동침이 국에 꿀을 넣어 말아 먹는다. 위에는 양지머리·배·좋은 통김치 세 가지를  모두 채쳐서 얹고 고춧가루와 잣을 뿌린다.」
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::【原文4】「쇠고기는 다진 후 양념에 재워서 볶고, 숙주와 미나리는 삶는다. 묵을 무치고 양념을 갖추어 넣고, 국수를 비벼 그릇에 담는다. 위에는 고기 볶은 것과 고춧가루와 깨소금을 뿌리는데 상에 낼 때에는 장국을 함께 놓는다.」
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::【原文5】「고기장국을 끓여 싸늘하게 식혀서 국수를 만다. 위에는 외를 채쳐 소금에 잠깐 절였다가 헹구어 짠 다음에 살짝 볶아 깨소금·고춧가루·유장에 무치고 양지머리 채 친 것을 같이 섞어 얹는다. 또 그 위에는 실고추·석이·달걀 부친 것을 채쳐서 얹는다. 호박도 외와 같이 볶는다.」<ref>이효지 외(엮음), 2004,『시의전서』, 신광출판사, P187</ref>
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*『婦人必知』(1915年)の記述
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:憑虚閣李氏によって1915年に書かれた『婦人必知』では、1903年(1909年説もある)に創業した飲食店「明月館(명월관)」のネンミョンを紹介している。「トンチミの汁に麺を入れる。大根、梨、柚子を薄切りにして入れ、薄切りの茹で豚と、錦糸卵を載せる。コショウ、梨、松の実を入れると、明月館冷麺と呼ぶ」(原文6)と記述されており、飲食店のレシピを紹介したものとしてはこれが初めてである。
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::【原文6】「동치밋국에 국수를 만다. 무, 배, 유자를 얇게 저며 넣고, 제육을 썰고 달걀을 부쳐 채 썰어 넣는다. 후추, 배, 잣을 넣으면 명월관냉면이라 한다.」<ref>이효지 외(엮음), 2010,『부인필지』, 교문사, P192~193</ref>
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=== 開化期から日本統治時代 ===
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朝鮮半島では19世紀末から民間の飲食店が普及し始め、20世紀に入ると冷麺店も誕生した。1910年代にはすでに冷麺店が存在したとされ、1920年代に入って増えていった。
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*明月館の開店
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:1903年(1909年説もある)に創業した飲食店「明月館(명월관)」でネンミョンを提供していた。
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*トンチュン麺屋の開店
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:釜山で1953年に創業し、[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]の元祖店として知られる「内湖冷麺」は、もともと1919年に咸鏡南道興南市で開いた「トンチュン麺屋(동춘면옥)」を前身とする。
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*韓福眞の報告
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:韓福眞は著書『私たちの生活100年・飲食(우리 생활 100년-음식)』にて、1920年代末にソウルの敦義洞で創業したという「東洋楼」という店を紹介している。また、1939年に同じくソウルの楽園洞で創業した冷麺店では、[[カルビグイ(牛カルビ焼き/갈비구이)]]を一緒に販売し、その値段は冷麺の普通が1杯10銭、特製が30銭、カルビグイ1本が20銭であったとしている<ref>한복진, 2001, 『우리 생활 100년-음식』, 현암사, P311-312</ref>。
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*文一平の日記
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:独立運動家であり歴史学者でもある文一平は、朝鮮日報の編集顧問として在籍していた1934年当時の日記を残している。1年分の日記には飲食にかかわる記述が多く、中でもネンミョンに触れた日は合計で17日分ある。日記内ではネンミョンを食べた店として「又春屋」、「真平屋」の名前があがっている。月別に見ると12月が5回ともっとも多く、次いで4月が3回、6、8、9月には登場せず残りの月は1~2回である<ref>문일평 지음, 이한수 옮김, 2008, 『문일평 1934년』, 산림출판사, P21-166</ref>。
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=== 1940年代 ===
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[[ファイル:17020507.JPG|thumb|300px|又来屋のネンミョン]]
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*又来屋の開店
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:ソウル市中区舟橋洞に位置する「又来屋(우래옥)」は1946年創業で、現存する韓国の冷麺店としてはもっとも古い。
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*江西麺屋の開店
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:ソウル市中区西小門洞に位置する「江西麺屋(강서면옥)」は1948年に平安南道江西郡で開店した。朝鮮戦争によって避難し、1953年に京畿道平沢市に店を構えた後、1968年に現在の場所へ移転している。
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=== 1950年代 ===
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朝鮮戦争(1950~1953)によって北部から避難してきた人や、その子孫らが韓国で冷麺店を多く営んでいる。
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*五壮洞冷麺通りの形成
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:ソウルの五壮洞(오장동)には咸興冷麺の専門店が集まっている。もっとも古い「五壮洞興南家(오장동 흥남집)」は1953年の創業で、店名は創業者が咸鏡南道興南市の出身だったことにちなむ。1954年には「五壮洞咸興冷麺(오장동함흥냉면)」が創業している。
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*釜山におけるミルミョンの誕生
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:朝鮮戦争によって多くの人が釜山へと避難した。休戦後もそのまま釜山に留まった人たちは多く、釜山では北部地域の出身者が当時、米軍からの救援物資などで入手のしやすかった小麦粉を用いてネンミョンを作った。これを[[ミルミョン(小麦粉麺の冷麺/밀면)]]と呼び、現在は釜山では郷土料理として親しまれている。その発祥は諸説あるが、1953年に釜山の牛巌洞でオープンした「内湖冷麺(내호냉면)」が元祖格として知られる。
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== 種類 ==
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ネンミョンには次のような種類がある。
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=== 基本形 ===
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*ムルネンミョン([[물냉면]])
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:冷たいスープに麺を入れたネンミョン
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*ピビムネンミョン([[비빔냉면]])
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:辛い薬味ダレを麺と和えて食べるネンミョン
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=== 麺の種類 ===
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*チンネンミョン([[칡냉면]])
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:葛粉を麺に加えたネンミョン
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*トトリネンミョン([[도토리냉면]])
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:どんぐりのでんぷんを麺に加えたネンミョン
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*ノクチャネンミョン([[녹차냉면]])
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:緑茶を麺に練り込んだネンミョン
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*ミルネンミョン([[밀냉면]])
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:小麦粉を原料としたネンミョン。ミルミョン([[밀면]])とも呼ぶ。
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=== 具の種類 ===
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*フェネンミョン([[회냉면]])
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:エイやカレイ、スケトウダラなどの刺身を具としたネンミョン
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*コダリネンミョン([[코다리냉면]])
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:スケトウダラの生干しを薬味ダレと和えて具としたネンミョン。スケトウダラの刺身冷麺という意味で、ミョンテフェネンミョン([[명태회냉면]])とも呼ぶ。
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== 日本における定着 ==
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[[ファイル:17020508.JPG|thumb|300px|元祖平壌冷麺屋の冷麺]]
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日本では戦前に朝鮮半島から渡ってきた人たちがネンミョンを伝えた。焼肉店を中心にネンミョンを食べられる店は多く、盛岡冷麺のように郷土料理となった事例もある。
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*元祖平壌冷麺屋の開店
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:神戸の新長田に本店がある「元祖平壌冷麺屋」は1939年に平壌出身の張模蘭、全永淑夫婦が創業した。当初は家庭料理として作り、同郷の人たちにふるまう程度であったが、評判がよかったため店を開くに至った。現存する冷麺店としては朝鮮半島を含めてもっとも古い。
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*盛岡冷麺の誕生
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:岩手県盛岡市では冷麺が郷土料理として親しまれている。咸鏡南道咸興市出身の青木輝人(楊龍哲)が1954年に「食道園」を開き、故郷の料理であるネンミョンを提供したのが始まりである。当初はコシの強い麺が不評だったが、やがてその魅力が浸透し、盛岡冷麺として定着した。その詳細な経緯については、小西正人著『盛岡冷麺物語』(リエゾンパブリッシング)に詳しい<ref>小西正人 2007, 『盛岡冷麺物語』, リエゾンパブリッシング</ref>。
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== エピソード ==
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*マッククスとの違い
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:ネンミョンとよく似た料理に、江原道の郷土料理で[[マッククス(冷やしそば/막국수)]]がある。そば麺で作った冷たい麺料理という点で平壌冷麺と共通するが、もともとマッククスとは即席で手軽に作った麺という意味で、茹でたそば麺にキムチの汁や、適当な薬味ダレをかけて混ぜて食べた家庭料理であった。これがやがて飲食店で出されるようになって、牛ダシのスープを作るなど、高級化が進んだことで平壌冷麺との差異が見出しにくくなっている。唯一の明確な違いは、ネンミョンがでんぷんだけでも麺を作るのに対し、マッククスは必ずそば粉を用いて麺を作ることである。また、本格的な専門店で食べた場合は、そば粉の比率が高くなるため日本そばに近い食感になる。店によってはでんぷんを一切用いず、そば粉だけで麺を作るところもある。
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*チョルミョンの誕生
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:1970年代初め、仁川市中区の製麺工場「クァンシン製麺」でネンミョン用の麺を製造していたところ、麺を押し出す穴のサイズを間違えて、普段よりも太い麺ができてしまった。捨てるのはもったいないので近隣の粉食店に持ち込み、使ってもらうことにしたところ、その麺で作った料理が意外な評判を得た。冷麺よりもシコシコと食感がよいことから、チョルミョン(しこしことした麺の意、쫄면)と名付けられ、これが周囲にも広まって現在は仁川の郷土料理となった。
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*本場の冷麺を食べに
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:韓食ペディアの執筆者である八田靖史は2015年4月に初めて北朝鮮を訪れ、本場の平壌冷麺と咸興冷麺をそれぞれ現地で食べた。その感動はひとしおであり、これまでに食べたどのネンミョンよりも美味しかったと確信している。
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== 地域 ==
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*ソウル市
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:ソウルには平壌冷麺の老舗店が各地に点在している。1946年創業の「又来屋(우래옥)」を筆頭に、1948年創業の「江西麺屋(강서면옥)」、1950年創業の「平来屋(평래옥)」などがある。
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*ソウル市中区五壮洞
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:咸興冷麺の専門店が3軒集まっている。1953年創業の「五壮洞興南家(오장동흥남집)」がもっとも古く、1954年創業の「五壮洞咸興冷麺(오장동함흥냉면)」、1980年創業の「五壮洞新昌麺屋(오장동 신창면옥)」と続く。
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*仁川市中区花平洞
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:大きなステンレスの器に大盛りの冷麺を盛り付けたセスッテヤネンミョン(洗面器冷麺、[[세숫대야냉면]])の専門店が立ち並んでいる。
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*京畿道楊平郡玉泉面
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[[ファイル:17020509.JPG|thumb|300px|玉泉冷麺]]
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:豚肉を煮込んだスープの冷麺が有名。地域名にちなんで玉泉冷麺(オクチョンネンミョン、[[옥천냉면]])と呼ばれる。もともとは黄海道海州市の出身者が広めた。冷麺とともにコギワンジャ(肉団子、[[고기완자]])を注文するのが定番。玉泉面玉泉里にある1952年創業の「玉泉冷麺(옥천냉면)」が元祖として知られる。
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*大田市儒城区新城洞
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:新城洞の旧称はスッコル(炭谷の意)であり、この地域で作られる平壌式のネンミョンはスッコルネンミョン(숯골냉면)と呼ばれる。朝鮮戦争時に平壌から避難してきた人たちが、この地域に住み着いて作り始めた。そば粉の比率が高い麺と、鶏ダシに[[トンチミ(大根の水キムチ/동치미)]]の汁を加えたスープが特徴。大田の6種類ある名物料理「大田6味」のひとつに数えられる。
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*慶尚南道晋州市
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[[ファイル:17020510.JPG|thumb|300px|晋州冷麺]]
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:晋州は平壌、咸興と並ぶネンミョンの本場とされ、この地域で作られるネンミョンを晋州冷麺(チンジュネンミョン、[[진주냉면]])と呼ぶ。タコやムール貝、干しダラなどでとった魚介スープに、そば粉とサツマイモのでんぷんで作った麺を入れ、具には細切りにしたユッチョン(牛肉のチヂミ、[[육전]])を載せるのが特徴。二峴洞に位置する「ハヨノク(하연옥)」が有名。
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*平壌市
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:平壌冷麺の本場であり、1960年創業の「玉流館(옥류관)」を筆頭に、「清流館(청류관)」、「ヘダンファ館(해당화관)」、「平壌麺屋(평양면옥)」といった有名専門店がある。また外国人も多く宿泊する「高麗ホテル(고려호텔)」1階レストランも有名。
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*咸鏡南道咸興市
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:咸興冷麺の本場であり、専門店としては「新興館(신흥관)」が有名。平壌にも支店がある。
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== 飲食店情報 ==
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以下は韓食ペディアの執筆者である八田靖史が実際に訪れた店を列挙している。
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<ソウル・平壌冷麺>
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*南浦麺屋(남포면옥)
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:住所:ソウル市中区乙支路3キル24(茶洞121-4)
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:住所:서울시 중구 을지로3길 24(다동 121-4)
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:電話:02-777-3131
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:備考:1965年創業の平壌冷麺店。自家製のトンチミが自慢
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*又来屋(우래옥)
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:住所:ソウル市中区昌慶宮路62-29(舟橋洞118-1)
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:住所:서울시 중구 창경궁로 62-29(주교동 118-1)
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:電話:02-2265-0151
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:備考:1945年創業の平壌冷麺店。韓国ではもっとも古い
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*乙密台(을밀대)
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:住所:ソウル市麻浦区崇文キル24(塩里洞147-6)
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:住所:서울시 마포구 숭문길 24(염리동 147-6)
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:電話:02-717-1922
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:備考:1966年創業の平壌冷麺店。他店に比べて太麺が特徴
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*乙支麺屋(을지면옥)
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:住所:ソウル市中区忠武路14キル2-1(笠井洞161)
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:住所:서울시 중구 충무로14길 2-1(입정동 161)
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:電話:02-2274-6863
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:備考:1985年創業の平壌冷麺店。議政府平壌冷麺の系列
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*平来屋(평래옥)
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:住所:ソウル市中区マルンネ路21-1(苧洞2街18-1)
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:住所:서울시 중구 마른내로 21-1(저동2가 18-1)
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:電話:02-2267-5892
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:備考:1950年創業の平壌冷麺店。牛肉にキジ肉を加えたスープが特徴
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*平壌麺屋(평양면옥)
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:住所:ソウル市中区奨忠壇路207(奨忠洞1街26-14)
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:住所:서울시 중구 장충단로 207(장충동1가 26-14)
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:電話:02-2267-7784
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:備考:1985年創業の平壌冷麺店。店内で製粉も行う
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*筆洞麺屋(필동면옥)
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:住所:ソウル市中区西崖路26(筆洞3街1-5)
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:住所:서울시 중구 서애로 26(필동3가 1-5)
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:電話:02-2266-2611
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:備考:1985年創業の平壌冷麺店。議政府平壌冷麺の系列
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<ソウル・咸興冷麺>
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*五壮洞興南チプ(오장동 흥남집)
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:住所:ソウル市中区マルンネ路114(五壮洞101-7)
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:住所:서울시 중구 마른내로 114(오장동 101-7)
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:電話:02-2266-0735
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:備考:1953年創業の咸興冷麺店。咸興冷麺店としてはもっとも古い
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*五壮洞新昌麺屋(오장동 신창면옥)
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:住所:ソウル市中区マルンネ路106(五壮洞90-8)
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:住所:서울시 중구 마른내로 106(오장동 90-8)
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:電話:02-2273-4889
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:備考:1978年創業の咸興冷麺店。五壮洞咸興冷麺の料理長が独立して開店
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*五壮洞咸興冷麺(오장동함흥냉면)
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:住所:ソウル市中区マルンネ路108(五壮洞90-10)
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:住所:서울시 중구 마른내로 108(오장동 90-10)
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:電話:02-2267-9500
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:備考:1954年創業の咸興冷麺店。咸興冷麺としても麺のコシが強い
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<地方>
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*西部冷麺(서부냉면)
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:住所:慶尚北道栄州市豊基邑人参路3番キル26(西部里132-2)
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:住所:경상북도 영주시 풍기읍 인삼로3번길 26(서부리 132-2)
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:電話:054-636-2457
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:備考:1973年創業の平壌冷麺店
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*玉泉冷麺本店(옥천냉면 본점)
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:住所:京畿道楊平郡玉泉面古邑路136(玉泉里760)
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:住所:경기도 양평군 옥천면 고읍로 136(옥천리 760)
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:電話:031-772-9693
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:備考:1952年創業の玉泉冷麺店。黄海道式の冷麺を定着させた
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*元山麺屋(원산면옥)
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:住所:釜山市中区光復路56-8(昌善洞1街37-1)
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:住所:부산시 중구 광복로 56-8(창선동1가 37-1)
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:電話:051-245-2310
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:備考:1953年創業の平壌冷麺店。南浦洞の繁華街に位置
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*ハヨノク(하연옥)
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:住所:慶尚南道晋州市晋州大路1317-20(二峴洞1191)
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:住所:경상남도 진주시 진주대로 1317-20(이현동 1191)
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:電話:055-741-0525
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:備考:1945年創業の晋州冷麺店。晋州冷麺の元祖店として知られる
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== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
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