コリアうめーや!!第258号

コリアうめーや!!第258号

<ごあいさつ>
12月になりました。
いよいよ今年も師走に突入です。
月に2度、このごあいさつを書きますが、
書くたびにドキッとするんですよね。
もう○月だ、もう季節の変わり目だと。
その中でもいちばん強烈な衝撃が、
1年の終わりを迎える12月でしょう。
いろいろあった1年を振り返りつつ、
翌年に向けての準備も必要。
あれこれバタバタ過ごすうちに、
気付けば呆然と大晦日を迎えます。
もう少し余裕のある年末はないものか。
年末に向けてやること満載の日々を思い、
少しばかり気の重い今日この頃です。
さて、そんな中、今号のテーマですが、
先日の韓国出張よりひとつ取り上げてみます。
ずいぶんと珍しい食材でしたが、
食べての感想はちょっと意外な感じに。
コリアうめーや!!第258号。
舞台へと飛び出す、スタートです。

<順天で味わう出オチ料理!!>

お笑い用語に「出オチ」という言葉がある。

登場の時点で、笑いの要素があり、
出てきた瞬間にオチているという意味だ。

奇抜な衣装や、強烈なキャラクター性、
あるいは突拍子もない舞台設定などが典型的な例。
登場と同時に座がワッと盛り上がることから、
雰囲気を作るうえでは有効な笑いの要素である。

だが、その一方で否定的な意味にも使われる。

「出オチやん!」

と責められるのは、
笑いの賞味期限が非常に短いため。

それが後々への伏線(またはツカミ)ではない場合、
出オチ後の存在意義がほぼ皆無となってしまう。
登場とともに笑いをさらえる魅力は捨てがたいものの、
その使いどきには慎重な状況把握が必要であろう。

といった三流お笑い評論家的な前置きを踏まえ。

真に語りたいのは料理の世界においても、
出オチ的なものがあるのではないかということ。
超ボリュームの料理とか、ダジャレ系の料理名とか、
無駄に奇抜な盛り付けが施されているとか。

運ばれた瞬間にひとしきり盛り上がり、
その後は、粛々とたいらげていくような料理。

例えば、居酒屋のメニューに「キムタク」とあり、
注文したら、キムチとたくあんが出て来て納得する感じ。
特にキムチやたくあんを食べたくはなかったとしても、

「あー、なるほどねぇ!」

という一瞬の満足感はある。

その満足への評価は人によるだろうが、
個人的には「大好物」の部類に入る。

出オチ料理万歳である。

韓国にも出オチ料理は存在する。

先日、韓国南西部の全羅南道を旅してきたが、
そこで食べた「チャントゥンオタン」は最たる例。
出オチ中の出オチといってよいかもしれない。

全羅南道順天市の郷土料理であり、
直訳すると、

「ムツゴロウのスープ!」

である。

日本では有明海、八代海の干潟に生息する魚。
ハゼの仲間に分類され、地元では蒲焼きなどにするが、
他地域ではあまり食用のイメージがないようだ。

ギョロ目で干潟をぴょこぴょこする姿からか。
ムツゴロウのあだ名で呼ばれる畑正憲氏の影響か。
あるいは単純に馴染みがないだけかもしれない。

先日、ある会でムツゴロウを食べたといったら、

「ムツゴロウ!?」

と周囲から一斉に驚かれた。

まさにツカミはばっちりという展開だが、
チャントゥンオタンが残念なのは、後が続かないこと。
ムツゴロウという名前のインパクトに比して、
料理そのものはけっこう地味なのだ。

出オチ料理であり、名前オチ料理といえる。

――回想シーン開始――

「お待たせしました!」

私の前にチャントゥンオタンが運ばれてくる。
大ぶりの黒い器に盛られた典型的な汁物のスタイル。
汁の表面からは、もうもうと湯気がたっている。
その横には、汁とセットのごはんが並ぶ。

湯気をかき分けるように器の中をのぞくと、
味噌汁風の赤茶色い汁に菜っ葉が浮かんでいる。

「これは何ですか?」
「ムチョンです。大根の葉」

店員は忙しげに答えて厨房に戻って行った。
私はそれを聞くとともに脇のスプーンを手に取る。
たっぷりとした汁の表面を揺らし……。

おもむろにひと口。

香り高い味噌の風味がわっと広がる。
ピリッとした刺激に、ニンニク、ショウガの味。
だが、鋭さはなく全体に穏やかである。

「お、うまいぞ」

くたくたに煮込まれた大根の葉をすくうと、
予想以上に長さを保っているようだ。
どうやらほとんど切られていないらしい。

箸に持ち替えて引っ張り出してみると、
ざっとひねりちぎった程度の長さであるとわかった。
口いっぱいを大根の葉で埋めなければならない。

だが、それは決して不快ではなかった。
大根の葉を噛むことで、汁がじゅっとにじむ。

「いいぞ、これこそ郷土料理だ」

気持ちを高めながらさらに食べ進む。
汁の中は大根の葉がほとんどだが、
肝心のムツゴロウはどこに潜んでいるだろう。

初めて出会うムツゴロウという味覚に、
自分はいったいどのような反応を示すのか。
その味は、その姿は、その感動は。

「はて……」

だが、ムツゴロウはなかなか姿を現さない。
大根の葉を押しのけ、器の底を探り、
どんどんと食べ進んで汁のかさを減らす。

だが、出てこない。
気持ちの底がじれてくる。

干潟に穴を掘って暮らすムツゴロウが、
汁の中でもどこかにもぐり隠れたというのか。
スプーンを繰りながら疑念と妄想が膨らむ。

「……」
「……」
「……」

「ない」

大根の葉のあらかたを片付け、
器の底が見え始めてもムツゴロウはいない。
すでにごはんも食べ切ってしまった。

そこで私は再び店員を呼ぶ。

「あの、ムツゴロウが入っていないのですが……」

すると店員は、よくあることという表情で、
短く答えるとまた去っていった。

「すりつぶして入っているんですよ」

合点のいく私。

チャントゥンオタンという料理は、
いうなればチュオタン(ドジョウ汁)と同系統。
下煮をした魚を、ミキサーなどですりつぶし、
どろどろになったものを汁と合わせて味付けるのだ。

出来上がりにムツゴロウの姿はなく、
身はすべて溶け込んでいるということになる。

「なるほど……」

私は空になった器をもう1度眺め、
ひと呼吸置いて、会計のために立ちあがった。

ムツゴロウはもう胃の中である。

――回想シーン終了――

上記のくだりはフィクションである。

書き始めたら小説風になったので、
つい筆が走って根も葉もある嘘八百になった。

実際にはちゃんと下調べをしてから行ったので、
すりつぶした状態で入っているのは理解済。
むしろ、それを確認する作業のように食べた。

姿は見えずとも、味わい深いスープであったし、
特にクセがある訳でもなく食べやすかった。
知らなければムツゴロウとは気付かないだろう。

だがそれは、

「名前のインパクトに比して実際は地味」

という理由そのものでもある。

僕個人としては満足のゆく郷土料理だったが、
問題となるのは、

「ムツゴロウ!?」

と周囲から驚かれた直後。

それだけの注目を集めたからには、
ムツゴロウについて、さらに説明する責任が生ずる。
嬉々としてムツゴロウの魅力を語らねばならない。

ムツゴロウの姿、食感、味、そして感動。

だが、ムツゴロウは出オチ料理なので、
名前以上に語るべき要素がない。

「いや、ムツゴロウといってもですね……」
「実際にはすりつぶされて入っていてですね……」
「残念ながら目には見えないんですよ……」

「ふーん」

集まった注目がスッと引いた。

その責任がムツゴロウにある訳ではないが、
わざわざ注目を集めたうえで、すべった感が残った。
出オチの後に何もないのは非常にむなしい。

話としてはこれで以上である。

出オチうんぬんから始まってダラダラ語ったが、
あまり内容がないのは自分でも反省している。

順天でムツゴロウを使った料理を食べた。
でも、その料理にムツゴロウの姿は見えなかった。
なので、話題にすると盛り上がりに欠ける。

まとめればわずか3行の内容である。

ムツゴロウの名誉のためにもう1度書くが、
料理としては、満足のゆく美味しさであった。
ムツゴロウの名前にひかれる人は、
ぜひ順天まで足を運んで試してみて欲しい。

順天は干潟の町としてPRに力を入れており、
2013年には国際庭園博覧会を開催予定。
隣町で来年に万博を控える麗水とともに、
韓国の新たな観光スポットとして注目されている。

韓国3大寺院のひとつ松広寺も順天にあり、
その入口では絶品の山菜定食も味わえる。

むしろ、そちらを語ればよかった。

と悔やむのも出オチ料理の魅力かもしれない。

<リンク>
ブログ「韓食日記」
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<八田氏の独り言>
旬の夏場には丸ごと調理する料理もある様子。
次回は丸ごとのムツゴロウ鍋にチャレンジしたいです。

コリアうめーや!!第258号
2011年12月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com



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