コリアうめーや!!第225号
<ごあいさつ>
7月15日になりました。
ゲリラ豪雨という単語が飛び交っており、
今年も雨の多い梅雨を体感しています。
このところ蒸し暑さもいっそう増して、
すっかりエアコンが必需品になっています。
自宅でコツコツ仕事をする身としては、
なかなか集中力を維持しにくい時期ですね。
キーボードを叩く、腕のあたりに汗をかくので、
机にタオルを敷いて仕事をしています。
一転、遊ぶとなるといい時期なんですけどね。
8月の短い休みにどこへ行こうか思案中。
それを楽しみに、頑張って働きたいと思います。
さて、そんな中、今号のテーマですが、
25号刻みの企画がまたもやってきました。
1年に1度、昔を振り返ってしんみり語る、
ちょっとノスタルジックな思い出話。
コリアうめーや!!第225号。
少し目を細めて、スタートです。
<あの日あの時あの人と……9>
美味しいものを食べた思い出がある。
あの日あの時あの人と、一緒に食べた味わい深い思い出がある。
夏の暑い時期が近づいてくると、
なにやら心の奥底がそわそわとしてくる。
このそわそわが来ると、夏だなと思う。
「何かしたい願望」
僕はこのそわそわをそう呼んでいるが、
見てわかるように、何かというのは決まっていない。
何がしたいのか自分でもよくはわからないが、
夏になると、何かを成し遂げたくなるのだ。
僕は8月生まれの夏男。
じりじりと暑い太陽に悪態をつきつつも、
高い気温と、強い日差しはけっこう好きなのだ。
うだるような暑さを体内でエネルギーに変え、
どこかに発散しようと、その対象を探してしまう。
16歳の夏は日帰りでの大阪旅行を企画し、
19歳の夏は高知から坂出まで140キロを歩いた。
20歳の夏はテントをかついで1カ月の沖縄放浪に出かけ、
26歳の夏は背中まで伸ばした髪の毛をバッサリ切った。
29歳の夏は山手線の線路に沿って1周歩き、
30歳の夏は大江戸線の線路に沿って1周歩いた。
その年によって、目的の矛先は変わるのだが、
何かを成し遂げたいという、強い気持ちは変わらない。
ふつふつと沸き上がる、そわそわがまたやってくる。
そんな夏直前の今日この頃。
ふと、
「10年前の夏は何をしただろう」
と思い至った。
10年前といえば2000年。
ミレニアムという単語が飛び交うとともに、
慎吾ママが「おっはー!」と叫んでいた。
シドニー五輪で高橋尚子が金メダルを取り、
プロ野球の日本シリーズではON対決で盛り上がった。
音楽方面ではJ-POPがまだ活況を呈しており、
「TSUNAMI」の売上が300万枚を突破。
小渕首相から森首相に代わって「神の国」発言があり、
アメリカではブッシュ大統領が新たに就任した。
朝鮮半島では金大中大統領と金正日総書記の頂上対談があり、
それを韓国留学中の僕が熱い視線で見つめていた。
うん。
2000年は韓国留学の真っただ中。
韓国語と韓国焼酎にまみれた暑い日々こそが、
僕の2000年夏を象徴している。
当時の写真をひっくり返してみると、
日本語サークルの仲間と撮った写真がほとんどだ。
僕はそこで日本語を教え、また韓国語を学んだ。
一方で、韓国的な生活を学べたのも大きかったように思う。
留学生とは、一応学びに来ているのが建前だが、
学校に通っている以外は、実はそれほどやることがない。
むしろふらふら遊んでいる時間のほうが長く、
そして、そちらのほうが語学的にも収穫は多かった。
僕は日本語サークルの友人らと毎日遊び歩き、
そこで活きた韓国語を、たっぷりと吸収していった。
中でも役立ったのが泊りがけの旅行である。
朝起きた瞬間から、寝るまで韓国語漬け。
それは旅行でありつつ、集中合宿のようでもあった。
日本語サークルの彼らは旅行好きが多く、
「ようし海に行こう!」
「いや、山に行こう!」
「飲めればどちらでも!」
という声があちこちから上がっていた。
韓国では仲間内の小旅行をMTと呼び、
これはメンバーシップ・トレーニングを意味する。
トレーニングといっても固い雰囲気のものではなく、
いわばサークルの合宿みたいな感じだ。
山や海などに1泊2日くらいの予定で出かけ、
観光をしたり、ゲームをしたり、夜を徹して酒を飲んだりする。
大騒ぎするもよし。語り合うもよし。泥酔するもよし。
居酒屋で飲んでいるときとは、また違った楽しさがある。
泊まりがけというのはどこか修学旅行的な楽しさがあり、
しかも引率の先生はいないので、好きなことをやりたい放題。
全員がそわそわの境地で、盛り上がりを作っていく。
そんなMTの話をひとつ振り返ってみたい。
当時の僕は、まだ韓国語がうまく話せず、
ごくごく基本的な会話を交わせる程度であった。
出かけた場所がどこだったかも覚えておらず、
ただ湖のそば、とだけ記憶している。
なんとなく集合場所から連れられて行って、
なんとなく盛り上がって1泊2日で帰ってきた。
そんな状況でも、たいへん楽しいMTだった。
宿泊したのはコンドミニアムである。
通称「コンド」と呼ばれるこの宿泊施設は、
キッチンがあり料理もできるリゾートマンションだ。
景色のいい海沿いや渓谷などに建てられており、
家族旅行、団体旅行によく使われている。
施設内にはコンビニやスーパーが併設されており、
カラオケボックス、ビリヤード場などの娯楽施設などもある。
場所によっては体育館や、イベント場、プールもあり、
そこだけで充分楽しめるのが魅力だ。
僕らそのコンドでいちばん大きな部屋を貸し切り、
そこでわいわいと雑魚寝をすることにしていた。
食事はすべて自炊。確かに旅行というよりも合宿のノリだ。
僕の体験によると、こういったMT時のメニューは、
サムギョプサル(豚バラ肉の焼肉)が定番中の定番である。
豚肉を大量に買って焼くだけ、という簡便さはカレーの比ではない。
包んで食べる葉野菜を水で洗えば、それで出来上がりだ。
材料を切ったり、煮込んだりする必要がなく、
さらにいえば洗い物すらほとんど出ないのがメリット。
肉を焼く以上、鉄板、フライパンは汚れるはずだが、
そこにもきっちり対応が成されている。
それが、フライパンにアルミホイルを敷き詰めるという技。
技というほど、たいした技術ではないのだが、
アルミホイルなら焦げて汚れた時点で取りかえればよい。
タワシでごしごし擦ったり、洗剤をびちゃびちゃかけまわしたり、
途中で額の汗をふき、顔に黒いすすをつけることもない。
なるほど便利だ、と感心した覚えがある。
また、サムギョプサルをフル回転で焼きながら、
その脇でささっと、プチムゲを作ることも多かった。
プチムゲとはいわゆるチヂミのことである。
小麦粉、またはプチムゲ専用の粉を水で溶き、
キムチやニラ、ネギなどの具を入れてフライパンで焼くだけ。
こちらも簡便ながら、みんなでわいわいつつける。
場合によってはラーメンも活躍する。
巨大な鍋でインスタントラーメンを大量に作り、
そこにみんなが箸を突っ込んで盛大に食べる。
韓国料理はもともとみんなで囲む空気を重要視するが、
こうした共同生活の場では、それがいっそう濃密になる。
その雰囲気を味わえただけでも大きな収穫だった。
だが、この段階はまだ序の口。
サムギョプサルをつまみに飲む人もいたが、
腰を据えて飲むのは、食事が終わってからである。
片づけも一段落したところで、
「さあて!」
という雰囲気になる。
誰かの号令で、30名以上が車座になった。
なかなかに迫力のある光景である。
全員が集まったところでこんな会話が始まる。
「さて、なにをしようか?」
「サムユックは?」
「この人数じゃちょっと無理じゃない?」
「ゲームオブデス!」
「だからこの人数じゃできないだろ!」
「えー、楽しいのに!」
それぞれ好き勝手な意見が飛び交う。
一通りあれやこれやと揉めた後、
「じゃあ、アイアムグランドにしよう!」
ということで無事に結論が出た。
会話の中に妙なカタカナが3つほど並んだが、
これらはいずれもMTゲームの定番である。
韓国人はMTに出かけるとなぜかゲームで盛り上がる。
ちなみに、アイアムグランドというゲームは、
かの、『冬のソナタ』でもMTゲームとして登場。
MTゲームの中ではかなり有名なひとつだ。
地方ルールも多いので、あまり詳述はしないが、
テンポに合わせてニックネームを呼び合うのが基本。
各自が自分のニックネームとポーズを決めておき、
掛け声の中で、どんどん回していくのだ。
詰まったり、間違えたりしたら罰ゲームで、
それはもっぱら、焼酎の一気飲みであった。
MTではゲームと宴会がワンセット。
テンポと一瞬の判断力が重要となるので、
飲めば飲むほど間違える、という泥沼の争いが楽しい。
アイアムグランドはテンポよく進んでいき、
ルールをよく飲み込めない僕はコロコロとよく負けた。
それまでの留学生活で、焼酎の一気飲みには慣れていたが、
ゲームをしながら、というのはだいぶしんどかった。
何度も杯を重ねつつ、ようやくルールを飲み込んだ頃、
座の雰囲気をさらに盛り上げる酒が登場してきた。
それが爆弾酒である。
爆弾酒はビールとウイスキーを混ぜたチャンポン酒。
韓国の宴席で開発されたオリジナルの飲み方で、
これを飲むと、例外なく胃で爆発して泥酔一直線となる。
みんなでダメになるのが目的という恐怖の酒だ。
この爆弾酒が登場してきたのには、理由があった。
ゲーム中盤まで来たのにムキになって負けないヤツがいる。
嫌らしくも1度も負けないメンバーを集中砲火するために、
全員で一致団結してやっつけようではないかとなった。
そしてそこに新たな提案が加わる。
「どうせやっつけるなら強い酒にしよう!」
「焼酎では生ぬるい。足並みを揃えるために爆弾酒だ!」
「ようし誰か爆弾酒の準備をせい!」
と、こんな流れで爆弾酒が登場。
コップになみなみと注がれる爆弾酒を見つめながら、
僕らの興奮は頂点に達し、この日最大の盛り上がりを見せた。
ゲームが再開されると、とにかく集中攻撃。
ターゲットも負けてはなるものかと善戦し、
その流れはどんどんスピードアップしてゆく。
スピードアップが、やがてヒートアップにかわり、
ターゲットがアップアップになったところで……。
ひょこんと僕が負けた。
ターゲットが苦し紛れに返した流れ弾が、
どうしたことか僕のところへ飛んできたのだ。
僕は一進一退でめまぐるしく変化する流れから、
完全に除外されており、まったくもって油断していた。
ゲームは僕のところにきて、唐突に止まり、
同時に全員の時間もいっせいに止まった。
はてな?
何が起きたのか、全員が把握できなかった。
時間が止まって、一瞬ののち。
部屋は爆笑で包まれた。
僕ももう笑うしかなかった。
負けたからには爆弾酒を飲まなねばならない。
覚悟を決めて一気飲みし、そして派手にぶっとんだ。
そこから先は爆弾酒だらけになったそうだが、
それは最初にぶっとんだ僕が強要したものらしい。
爆弾酒のせいで異常なハイテンションと化した僕は、
見事な大虎に化けて、座に大嵐を巻き起こした。
爆弾酒が飛び交うMTの夜は大混乱となり、
寝室用に用意した部屋はほどなく死体置き場となった。
僕の意識も完全に途絶え、後の記憶はまるでない。
翌朝。ひどい二日酔いで目覚めた。
僕はトイレで胃の内容物をすべて戻し、
もう1度布団に戻って力なく崩れた。
活動する元気は微塵も残っていない。
その日、一行は近くの湖を散策したのだが、
僕はそれにも参加できず、ひたすらに倒れて寝ていた。
僕の飲んだくれ人生でも指折りの二日酔いである。
そんな僕を見て、友人が苦笑いで言った。
「お前ねえ、昨日は大変だったんだぞ」
「ひどい酔っ払いだから、寝かそうと思ったんだけど……」
「嫌だ、まだ飲むって、マクラ片手に起き上がるんだよ」
「寝かしても寝かしてもゾンビのように起き上がってなあ」
「床にも壁にも、頭をゴンゴンぶつけてたぞ」
「あ、そうだ、お前、頭大丈夫?」
聞かれるまでもなく、僕の頭はガンガン。
ただ、それは2日酔いの痛みでもあったので、
どこをぶつけたかはよくわからなかった。
覚えているのは、割れるような痛みの中、
「爆弾酒はもう2度と飲むまい!」
と力なく心に誓ったことだけである。
そんな2000年の思い出。
泥酔をする飲み会ともだいぶ遠ざかり、
どこか懐かしい気分で、気持ちの奥がそわそわする。
写真の中で、2日酔いにあえぐ僕の姿が……。
なぜか妙にまぶしく感じられる。
<お知らせ>
仕事が忙しくHPの更新ができません。
落ち着いたら、まとめて更新したいと思います。
http://www.koparis.com/~hatta/
<八田氏の独り言>
あのとき一緒に飲んだ皆は何をしているのか。
10年なんて、本当にあっという間です。
コリアうめーや!!第225号
2010年7月15日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com