コリアうめーや!!第194号

コリアうめーや!!第194号

<ごあいさつ>
4月1日になりました。
世間一般では入学式や入社式の1日です。
新学期、新年度というのはいいものですよね。
ただ、僕はフリーで仕事をしているため、
昨日とあまり変わりのない1日でした。
新入生も新入社員とも無関係。
気楽ではあるものの、無味乾燥な気分です。
何か少しでも4月気分を味わえるものはないかと、
エイプリルフールにだけは参加しました。
自分の運営するブログに嘘記事をアップ。
本当ならもっと凝ったものにしたかったのですが、
時間がなかったので写真1枚のネタです。
よかったら確認してみてください。
http://koriume.blog43.fc2.com/blog-entry-922.html
さて、今号のメルマガですが、
先日頂いたある質問がヒントになりました。
古い記憶をたどる、ミニマムな昔話をひとつ。
コリアうめーや!!第194号。
若き食欲を振り返る、スタートです。

<炊飯器の思い出を真剣にたどる!!>

職業柄、いろいろな質問を受ける。

「○○の美味しい店はどこですか?」
「○○の発祥地や由来を教えてください」
「いま流行している料理は何ですか?」

仲のよい友人、知人から、見知らぬ他人まで。
ほぼ毎日のように何らかの問い合わせを受けている。
たぶん僕の業務には「お客様相談」などの、
カスタマーサービスが含まれているのだろう。

ちなみにここ最近の間で来た質問例。

「六本木近辺の安くて美味しい韓国料理店は?」
「日本でキムチを売りたいのだが最近のトレンドは?」
「韓国在住で日本語堪能なカメラマンの友人は?」

本当にいろいろな質問が飛んでくる。
忙しいときは面倒だったりもするのだが、
その質問に答えることで、意外な発見を得られたりもする。
自分の勉強にもなるので、これはこれでありがたい。

そしてつい数日前もユニークな質問が来た。

「韓国の炊飯器って赤いですか?」

それを受けた瞬間、頭の中がハテナだらけになった。
韓国の炊飯器が赤いなんて聞いたこともない。
そんなバカなことがあるか……と返信しかけたそのとき。

「あれ、でも知人の家のは赤かったな……」

と寸前で踏み止まった。
念のためと思ってイメージ検索をかけてみると、
確かに赤い炊飯器がわらわらと出てきた。

検索ワード「炊飯器(パプソッ)」
http://image.search.naver.com/search.naver?where=image&sm=tab_jum&query=%uBC25%uC1A5
検索ワード「電気炊飯器(チョンギパプソッ)」
http://image.search.naver.com/search.naver?sm=tab_hty&where=image&query=%C0%FC%B1%E2%B9%E4%BC%DC

画像を見る限り、特に違和感はない。
韓国でもよく見かけるデザインに間違いない。
手持ちの写真もざっと調べてみたが、
そこからも赤い炊飯器の写真が発見された。

「か、韓国の炊飯器って赤かったのか!」

我ながら驚きの事実であった。
というより、これだけ基礎的なことを、
見逃していた自分が恥ずかしい。

調べていくと、ある団体の調査にもぶつかった。
その調査結果によれば、

ソウルでは3人に1人が赤い炊飯器を使用し、
次回購入時も赤が欲しいとの意見が多い。

とのこと。
日本では白物家電のひとつに含まれており、
イメージ検索をしても白、銀、黒がほとんどだ。
我が家で使っている炊飯器も白である。

「こんなところにも日韓差があるんだなぁ……」

としみじみ勉強になった。

という前フリから、今回は炊飯器の話。
僕にとって炊飯器の思い出といえば留学時代が印象深い。
当時、一軒家を改造した定員10名の寄宿舎におり、
そこでは金のない留学生が、日々自炊をしていた。

当時使っていたのは10合炊きの炊飯器。

備え付けの備品ではなく、有志で共同購入したものである。
貧しい懐事情の中から、それぞれがなけなしの金を出し合い、
4万ウォン(約4000円)ほどの安物を買った。

いま思えば、あの炊飯器も妙にカラフルだった気がする。

写真がないので、うろ覚えではあるのだが、
緑とオレンジと黄色が、入り混じっていたはず。
ただ、色合いのセンスとは無関係にこの炊飯器は活躍し、
食欲旺盛な寄宿舎生たちの腹を満たしていった。

そんな炊飯器の話をちょっと語ってみたい。

「炊飯器を買おうではないか!」

と、高らかに宣言したのは寮長だった。

当時、僕らの寄宿舎にはキッチンこそなかったものの、
申し訳程度の調理スペースが居間に併設されていた。

ただし、あるのは携帯用のカセットコンロひとつのみ。

普段はラーメンを作ったり、コーヒーを入れたり、
スルメを焼いたりするぐらいしか活用されていなかった。
だが、前々からここで料理をしたいという要望は多く、
時折り思いついて煮込み料理を作ったりもしていた。

「こないだ近所のスーパーで見てきたのだが……」
「20キロの米が4万ウォンぐらいだった!」
「だいたい1キロで7合前後。1食に1合も食べないだろ」
「えーと、ちょっと待ってろ……」

寮長は自分の部屋に戻り電卓を持ってくる。

「例えば3食で2合として計算しよう」
「20キロの米だと……210回食べられる計算になる」
「すると1食あたり190ウォンだ!」

当時、僕らの外食費が1食3000ウォン程度。
いちばん安い学食でも1500ウォンだった。
おかず抜きにしても、ごはんがあればなんとかなる。
寮長の計算に、寄宿舎生全員が真剣になった。

「その190ウォンを、例えば300ウォンで徴収する」
「そうすればいずれ、炊飯器代も回収できるだろう」
「あるいは調味料代とか、買出しのバス代にしてもいい」

僕らはブンブンと首を縦に振る。
寮長の熱弁もあって、やがて炊飯器購入は正式決定。
4万ウォンの安物炊飯器が寄宿舎にやってきた。

これを見て僕はひとつの作戦を練った。
せっかく炊飯器があるのだから、何か料理をしよう。

もともと寄宿舎には調理設備こそなかったが、
鍋、フライパン、食器などの厨房用具は整っていた。
調味料類も炊飯器と合わせて購入してきたので、
コンロが貧弱でも、なんとか料理はできそうだった。

「さて、何を作ろうか」

どうせ料理を作るなら豪勢なものがいい。
また、ひとりで食べるよりも、みんなで食べる料理が望ましい。
大勢であればあるほど、費用や作業も分担できる。

後はコンロがひとつなので作りやすいこと。
以上の要素を頭のなかでめぐらせ、

「ようし、カツ丼だ!」

という結論に行き当たった。

ちょうど炊飯器が来る前の寄宿舎で、
テイクアウトの弁当が流行していたという事情もある。
その店はどうやら日本式の弁当店を参考にしていたようで、
トンカツ弁当や、肉野菜炒め弁当などを揃えていた。

値段も3000ウォン程度と安かったこともあり、
僕らは往復30分の道のりを、せっせと通っていた。

その弁当店で、まずトンカツを買ってくる。
ライス抜きの単品であれば1人前2000ウォンほどだ。
ごはんは自前の炊飯器で目一杯炊けばいい。

タマネギや卵は買い置きがいくらでもある。
あとはダシ汁をどうするかだが……。

「タシダ(韓国の牛肉ダシ)でいいんじゃない?」
「醤油も韓国のチンカンジャン(濃口醤油)で大丈夫でしょ」
「砂糖はコーヒー用のがたっぷりあるし」

といういい加減な案でまとまった。
このあたりのやり取りをしているうちに、
だんだんと参加者も増えてくる。

結果的に僕を入れて6人の賛同者が得られたのだが、
不思議なことに2名はロシア人で、1名はモンゴル人だった。
この時期の寄宿舎は、たいへん無国籍で楽しかった。

ちなみに余談ではあるが、ロシア出身の学生たちは、
休みのたびに地元から、大量のサーモンとイクラを抱えてきた。
同じく持参のウォッカをあおりつつ、それを分けてもらう。

「ロシアではイクラは安いんだ。どんどん食べてくれ」

という彼らに心から感謝しつつ、
生干しにしたサーモンやイクラをむさぼった。
いま振り返っても、感動至福の体験である。

さて、寄宿舎カツ丼への体制は整った。

買出し班、米炊き班、調理班と担当を割り振り、
テキパキとしたチームワークで作業を進めていく。
といってもロシア、モンゴル組は料理の想像すらつかないので、
主に洗い物班として働きつつ、我々の作業を眺めていた。

彼らの期待はなかなかに大きいようで、
キラキラした目で僕らの作業を見つめている

「これはプレッシャーがでかいな」
「僕らの作ったものがカツ丼のイメージを決定する」
「下手なものは作れないな……」

といいつつも、基本的に出来る工夫は少ない。
せいぜい醤油と砂糖の塩梅に注意を傾けるだとか、
卵をいい感じの半熟に仕上げる、といった努力が関の山だ。

そもそも鍋からしてキャンプサイズの大鍋である。

1人前ずつ作るような、器用なことは望めないので、
6枚のトンカツを、2度に分けて煮込む方式を取った。

大量に刻んだタマネギを、ダシ汁で煮込みつつ、
頃合に火が通ったら、トンカツを3枚ずつ投入する。
衣にダシ汁を染み込ませつつ、適当なタイミングで溶き卵。
あとはフタをして、半熟、半熟と願うばかりである。

仕上げにグリンピースを散らしてみるとか、
ミツバをあしらうなど、気の利いた小細工は一切ない。
ただひたすらに無骨で無頼なカツ丼を作った。
6人前が完成するまでに、3時間ほどを要したと記憶している。

2度に分けたカツ煮が出来上がった直後。
購入したての炊飯器も、タイミングよく湯気を吹き上げた。
フタを開けると、安い米なりにツヤツヤと輝いている。

はやる気持ちを抑えつつ、丼にごはんをよそう。

アツアツのカツ煮を丁寧に盛り付けるとともに、
オタマで煮汁を少量、振り掛けるのも忘れなかった。
いよいよ、寄宿舎カツ丼の完成である。

「いただきます!」

という掛け声すらあったかどうか。
いつも空腹の寄宿舎生は先を争ってむさぼった。

「うまい、これはうまいよ!」

まずあがったのはやはり日本語での歓声。
日本からの学生にとっては懐かしい故郷の味である。
一方、ロシア、モンゴルの学生はどうか。

「うん、おいしいよ! ガツガツ」
「これはいいね! バクバク」

お世辞ではなく、本当に美味しそうだ。
その美味しいをいう時間すら惜しい、
という勢いで食べていたのが印象的であった。

気付けば6人前のカツ煮はおろか、
8合炊いたごはんも、すっからかん。
食べ盛りの若者6名とはいえ、よく食べたものである。

「炊飯器を買ってよかったねえ」

とみんなで微笑み合いつつ、
第1回寄宿舎カツ丼の夕べは終了。

以降、寄宿舎では数々の料理が作られ盛り上がるのだが、
それはまたいずれの機会に取っておくとしようか。
我が青春の寄宿舎ライフは、数々の逸話であふれている。

ともかくも貧しくも楽しい生活を下支えした炊飯器。

10年経過し、いまさらかもしれないが、
その勇士を思い返しつつ、深く感謝をしたい。

<お知らせ>
仕事が忙しくHPの更新ができません。
落ち着いたら、まとめて更新したいと思います。
http://www.koparis.com/~hatta/

<八田氏の独り言>
ごはんってたくさん炊くと美味しいんですよね。
飯の友をたっぷり用意し、がっついて食べたいです。

コリアうめーや!!第194号
2009年4月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com



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