ドラマ「ファン・ジニ」を見た人であれば、第10話でファン・ジニが朴淵瀑布(박연폭포)という滝をモチーフに詩を書いたのをご記憶かもしれません。
朝鮮時代に実在した妓生としてはもっとも有名なひとり。
かつて高麗の都として栄えた開城(ケソン)、当時の名前で松都(ソンド)において、もっとも素晴らしいと褒め称えられるのが、ファン・ジニ、朴淵瀑布、そしてファン・ジニの師匠である儒学者の徐敬徳だそうです。これを指して「松都三絶」と表現するのですが、その言葉を作ったのもファン・ジニだとか。
まずはファン・ジニゆかりの町ということで開城に足を踏み入れました。
さて、冒頭の写真が朴淵瀑布ですが、説明をしてくれた現地のガイドさんいわく……。
「春の朴淵瀑布はツツジの花が咲いて美しいです」
「夏の朴淵瀑布は水量が増えて雄大な眺めを楽しめます」
「秋の朴淵瀑布は紅葉が真っ赤に映えて見事です」
「冬の朴淵瀑布は滝が凍った中を水が流れて神秘的です」
とのこと。
僕らが訪れたのは春ですから、この写真ではわかりにくいですが、滝の周囲では確かにツツジが咲いてきれいでした。
そうなると夏秋冬の朴淵瀑布も見てみたいものですが、とりあえず四季の移ろいとは無関係に、たいへん見事であったのが左手前にある橋のかかった岩です。
・リョンバウィ(龍岩、룡바위)
と呼びますが、ここでも語頭がリウルであるのに気を付けねばなりません。南ではヨンバウィ(용바위)と呼ぶところが、リョンバウィとなっています。
橋を渡って岩の上に登ってみると、このように詞が刻まれています。
説明によれば、なんとファン・ジニの直筆であるとか。朴淵瀑布を訪れたファン・ジニがこのリョンバウィに上がり、長い髪先に墨を塗ってさらさらと書いたのが李白の詞。それを見ていた石工たちが、これは後世に残すべきだと彫ったのがこの文字だそうです。
飛流直下
三千尺
疑是銀河
落九天
と書いてあるのがなんとなく読めるでしょうか。
滝の水が三千尺もまっすぐ落ちて、まるで銀河(天の川)が天から落ちてくるようだ、という意味になります。
そんな優美な古都という風情が開城いちばんの魅力であり、市内には歴史的な遺産が多数残っています。
写真は開城の南大門。この南大門や、北朝鮮報告(1)で写真を載せた王建王陵、その他たくさんの歴史遺産は、2013年に「開城の歴史的建造物と遺跡」としてユネスコの世界文化遺産に指定されました。北朝鮮で登録された世界遺産には、もうひとつ「高句麗古墳群」があります。
こうした歴史遺産はかつて成均館(朝鮮時代の最高教育機関)だった「高麗博物館」にも多数収められており、高麗青磁などの貴重な美術品や、保存状態のいい石塔など、歴史ファン垂涎のお宝を間近で眺められます。
こちらは韓屋(伝統家屋)をリフォームした民俗旅館。
僕らが泊まったときはお風呂のお湯が出なかったりもしましたが、普段であれば時間を決めてお湯の出る時間はあるようです。平壌を出るとどうしてもインフラ系は弱くなり、道路事情、電力事情などはお世辞にもよいとは言えません。
観光を考えると地方に出た方が面白いのは間違いないですが、そのあたりをどう納得できるかで旅の評価はだいぶ変わってくるように思います。
そんな民俗旅館の夕食が、開城名物の飯床器(パンサンギ、반상기)でした。
もともと飯床器とは「膳立てに用いる一揃いの食器」を指し、高麗時代、朝鮮時代に宮中や両班の家で食べられていた料理の形式に則っています。おかずの数に合わせて……。
・三楪飯床(おかず3品)
・五楪飯床(おかず5品)
・七楪飯床(おかず7品)
・九楪飯床(おかず9品)
・十二楪飯床(おかず12品)
と分類。難しい字の「楪」はチョプ(첩)と発音し本来はフタのことを意味します。写真はフタを取った状態ですが、本来はフタをするものとガイドさんがわざわざ写真用にフタをしてくれたりもしました。中を見せたいので結局は取って撮りましたけどね。
ちなみに宮中では十二楪飯床、両班の家では九楪飯床、庶民の家では三楪飯床を基本に、余裕のある家では五楪飯床、七楪飯床の形式を取りました。
おかずの数としてごはん、汁もの、キムチ、醤油などの調味料類は含みませんので、写真の場合だと七楪飯床をイメージしたんでしょうかね。厳密には七楪飯床だと、キムチ×2、調味料類×2、チゲ×1、蒸し物か鍋のどちらか×1、がつかなければ正式な膳立てにならないので、そのへんまでは意識されていないようです。
高麗、朝鮮時代の膳立てを模して現代風に提供したのが飯床器。
たぶんそのぐらいの理解でよいだろうと思います。よくよく探せば忠実な膳立てで提供する店もあるかもしれませんが。
韓服を来たお姉さんが……。
と書きかけて、これも南の言葉ですね。えーと、朝鮮服(조선옷)でいいのかな。チマ・チョゴリであればどちらでも問題ないとは思いますが、とりあえず伝統衣装に身を包んだお姉さんが、地元の焼酎を注いでくれました。
開城の地酒である松岳焼酎(송악소주)という銘柄で、松岳山という山の名前にちなんでいます。原料はトウモロコシを使っており、松岳山の清水を使っているとの説明でした。
旅行中、焼酎もいくつか味わってみましたが、その中ではこれがいちばん美味しかったですね。アルコールがとがっておらず、甘い香りと柔らかい口当たり。もし、開城に行くことがありましたら試してみてください。
さて、居並ぶ7品のおかずはこんなラインナップ。いちばん右上が半分切れてしまいましたが、左上から右下に……。
・インサムチョングァ(高麗人参の蜜漬け、인삼정과)
・トドックイ(ツルニンジン焼き、더덕구이)
・オイソン(宮中式キュウリの蒸し物、오이선)
・コサリナムル(ワラビのナムル、고사리나물)
・ヤッパプ(甘いおこわ、약밥)
・ヌタリボソッナムル(ヒラタケのナムル、느타리버섯나물)
・トトリムク(ドングリ寒天、도토리묵)
という感じで料理が並んでいます。
特筆すべきは、インサムチョングァ、オイソン、ヤッパプあたりでしょう。
北朝鮮報告(1)でも書きましたが、開城といえば古くから名前の通った高麗人参の名産地。また、高麗の都として栄えた歴史から、オイソンのような宮中料理がしっかり入っているのもツボを押さえた印象です。
わかりにくいかもしれませんが、ひと口大のキュウリが3つ器に入っており、そのひとつに切り込みを入れて2種類の具を配置。ひき肉と卵の黄身、ひき肉と人参、ひき肉と卵の白身という3種の色合いをもって、陰陽五行思想に則った……。
・青:キュウリ
・赤:ニンジン
・黄:卵の黄身
・白:卵の白身
・黒:牛肉
という五色を整えているのかなとも思ったり(牛肉は赤として数える場合もあるようですが)。
ヤッパプが代表的な開城料理だというのも今回初めて知りましたが、言われてみると、このへんの伝統餅とか伝統菓子は高麗時代に発達したもの。油蜜菓(小麦粉を練った揚げ菓子、유밀과)なんかは贅沢品だと禁止令が出るほど大ブームになったんですよね。
せっかくなので手元の資料をひっくり返してみると、朝鮮時代の1611年に書かれた「屠門大嚼」という本にヤッパプの解説があり……。
「中国人がこれを好んで、真似て造り、『高麗飯』といって味わっている」
(鄭大聲(訳), 1982, 『朝鮮の料理書』,平凡社, P253)
なんて記述を発見して興奮したり。南をうろうろしていると朝鮮時代の歴史にはよく出合っても、高麗時代の歴史に出合うことって意外に少ないんですよね。
高麗人がよく食べていたというサンチュサム(葉野菜包みごはん、상추쌈)なんかも、現在の平壌でプルサム(부루쌈)として名物料理になっているのを知りましたし、高麗時代の食を発掘するという楽しみも北朝鮮旅行にはありそうです。
お膳にはごはんと汁ものが後から運ばれてきます。
・タッコギスッタン(鶏団子とヨモギのスープ、닭고기쑥탕)
飯床器の料理はどれも手をかけた丁寧なものでしたが、これは特に美味しかったですねぇ。たぶん春だからということでヨモギなのでしょうが、その香りがぷんぷん漂って絶品でした。
さて、香りという面ではこちらも大変印象的な一品。
すでにタイトルにも書きましたが、真ん中に散らされているのがパクチーです。英語でコリアンダー、中国語で香菜(シャンツァイ)、タイ語でパクチー、そして……。
朝鮮語ではコス(고수)。南でも同じです。
食べてみて何か不思議な香りがするぞと座がざわざわし、みんなで食べて顔を見合わせ、これってパクチーだよね、と確認し合った瞬間の微妙な空気を忘れることができません。店の人に確認をして「コス」と言われたときは、ソウルの梨大で写真館をやっている友人のブログを読んでいてよかったと感謝しました。
南でも最近ようやく見るようになったこの香草を、キムチに利用するなんてずいぶんな冒険をするなぁ、と思っていたら……。
「いえ、昔から開城ではよく使いますよ」
「開城のおばあちゃんたちが普通に作るキムチです」
「普段もよく食べています」
というお姉さんの説明にまたびっくり。
翌日の昼間にインサムタッコム(高麗人参と丸鶏のスープ、인삼닭곰)を食べた話は、北朝鮮報告(1)でも書きましたが、よく見ると右上の水キムチ(汁の多いキムチ、물김치)にも……。
コス。
こちらの支配人にも確認してみましたが、開城では昔から使っているという説明に変わりはありませんでした。同行したガイドさんは平壌の方ですが、やっぱり開城ではコスを使うとそれぞれ意見が一致しています。
信じられないことですが、開城のキムチにコスが入るのは常識だそうです。
日本でもパクチーブームが来ていますから、ここはひとつキムチメーカーさんもパクチー入りを開発してみてはどうですかね。決してキワモノではなく、高麗の都であった開城の伝統キムチというけっこうな箔をつけて販売できますよ。
さて、ふたつ上の写真、いちばん左下に写っていた料理がこちら。
注文が錯綜したことでインサムタッコムと飯床器を1人前ずつ食べるという、だいぶボリューミーな昼食だったのですが、その中に不思議な料理をひとつ発見しました。
・ソヒョボックム(牛タン炒め、소혀볶음)
朝鮮半島では古くから牛の各部位を上手に調理して食べる中で、牛タンだけは食べないはずだったんですけどねぇ。南では日本の影響もあって少しずつ見る機会が増えてきましたが、まさか北で牛タンを見るとは思いませんでした。
これも驚きをもって店の人に訪ねたのですが……。
「今日はほかに中国人の団体客が入っているので、中国の方向けに作ったんですよ」
という答え。
途端にすべてを納得して脱力しましたが、宮中料理にもルーツのある飯床器に牛タン炒めを盛り付けるというフレキシブルなサービス精神に、北朝鮮ってこんな国だったんだなぁと改めて先入観を崩されました。
なお、飯床器として登場した他の料理は……。
・コンナムルムチム(モヤシのナムル、콩나물무침)
・ヤンパサルラドゥ(タマネギサラダ、양파쌀라드)
・キムティギ(揚げ海苔、김튀기)
・ヒンセンソンティギ(白身魚のフライ、흰생선튀기)
・タルガルコンギチム(茶碗蒸し、닭알공기찜)
・ヤッパプ(甘いおこわ、약밥)
・ケンニプティギ(エゴマの葉揚げ、깻잎튀기)
・カムジャティギ(ポテトフライ、감자튀기)
・コサリナムル(ワラビのナムル、고사리나물)
・トラジムチム(キキョウの根の和え物、도라지무침)
・ソヒョボックム(牛タン炒め、소혀볶음)
こんな感じ。
白身魚はハタハタでしたが、これも南でトルムク(도루묵)と呼ぶのに対し、北ではトルメギ(돌메기)と呼びます。店の人は雅な旧称である「銀魚(은어)」を使っていましたが、個人的にはこれも鳥肌が立つほどの驚きでしたね。
そんな経緯はコチラの記事にまとめてありますが、余談として金正日総書記死去のニュースに触れているのは不思議な因縁でしょうか。
そのほかにも開城では、ポッサムキムチ(具の豪華な包みキムチ、보쌈김치)が有名だったり、コチュジャンが名産だったり、かつて松都と呼んだぐらいですから松の実がよくとれたり、地元の方情報によれば丸ドジョウと豆腐を一緒に煮込んだチュオタン(ドジョウ汁、추어탕)なども名物だそうです。
「食は開城にあり」
グルメ派の人はぜひ開城まで足を伸ばすことを強くおすすめします。
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