18日の土曜日は友人宅でキムチチゲなど食べていたのですが、
うっかりカメラを忘れていったので写真がありません。
どうやらお土産のお酒を持っていくのに気をとられたみたいです。
家を出る段階で遅刻確定(集合時間の2分前)だったのも影響しました。
あせって家を出ると、いろいろな忘れ物がありますよね。
結局、集合場所に到着したのは、1時間15分遅れでした。
ハードな遅刻というよりは、間に合おうという意識がまるでありません。
こういう現象を韓国では「コリアンタイム」と呼びます。
全部で10数名の集まりでしたが、僕より遅い人が半分ほどおりました。
さて、そんなことはともかく、冒頭に書いたタイトルです。
今回考察したいのは「韓国料理におけるフタの存在」について。
先日、ちゃんこ鍋を食べながら思ったのですが、
日本で食べる鍋料理って、たいていフタがついていますよね。
最後に雑炊を作るときは蒸らしますし、煮るときもフタをします。
でも韓国で鍋料理を食べていて、フタを見ることはまずない。
これはいったいどういうことなのだろうと。
別に韓国にフタという概念がないわけではありませんし、
経験上、家庭で作る鍋料理には、フタがあることも少なくありません。
ただ店で食べる鍋料理だけは、たいていフタが省略されています。
確かに韓国の鍋料理は、煮込まれた状態で来ることが多いですし、
また、最後にごはんを入れるときも、雑炊でなく炒めるように作ります。
あえて「必要か?」と聞かれたら、まあなくてもよいような。
そんなあたりから、自然とフタがなくなっていったのでしょうか。
ただ、食べる立場からすると、フタは期待感を高める働きがあります。
料理が運ばれてきて中央に置かれ、店員がおもむろにフタを取る。
刹那、ぶわわわわわーっと湯気が立ち上って、中の具があらわになり、
のぞきこむ一同からは、「おおー!」と歓声があがる、という感じに。
ただ、韓国料理は運ばれてくる段階で、「おおー!」なことが多く、
豪快さは充分なので、小細工は労さずともよいのかもしれません。
僕が知る限り、絶対にフタが必要! という韓国の鍋料理は、
かつてアルバイトをしていた刺身専門店のヘムルタン(海鮮鍋)だけです。
今もまったく同じものが出ているかどうかはわかりませんが、
少なくとも僕が働いていた頃は、フタはなくてはならない存在でした。
なにしろ具のひとつに生きたテナガダコが丸々使われています。
フタなしに調理しようものなら、テナガダコが逃げていってしまう。
蒸らすとか、煮込むとか以前に、バリケードの役割をしていました。
刺身専門店だけに、この料理を見ることは少なかったですが、
運ばれていったときの、「おおー!」はかなりのものがありましたね。
今もあるのかな。今度行ったら聞いてみることにします。
もうひとつ、鍋ではありませんが絶対的にフタが必要な料理。
ソットゥッコンサムギョプサルという名前のメニューがあります。
いわゆるサムギョプサル(豚バラ肉の焼肉)の一種なのですが、
ソットゥッコンというのが、釜のフタを意味します。
釜のフタを鉄板がわりにして食べるサムギョプサルのこと。
絶対的に必要というか、料理名だけにフタでなければなりません。
この2つくらいですかね。頭をひねって思い浮かんだのは。
あとの料理は特になくてもよく、そしてあることのほうが少ない。
韓国料理におけるフタの重要性はこの程度なのかもしれません。
それにしても本来の役割とは外れ、鉄板がわりにされているのはやや不憫。
もっとフタの地位向上が目指されてもよいのではないでしょうか。
「フタよがんばれ! フタに幸あれ!」
ちゃんこ鍋を食べながら、そんなことを思った次第です。
8 Responses to 韓国料理におけるフタの考察。