コリアうめーや!!第250号
<ごあいさつ>
8月になりました。
記録的に暑かった6月、7月でしたが、
ここ数日は少し涼しい日が続いたようです。
節電を心がけねばならない夏だけに、
この涼しさはずいぶんありがたいですね。
とはいえ、その一方で大型の台風が来たり、
地域によって記録的な大雨が降ったり。
地震もときおり大きなものがやってくるので、
なかなか安心できない夏でもあります。
暑さはともかく、安心できる日々が欲しい。
そんなことを痛切に思う今日この頃です。
さて、そんな中、今号のテーマですが、
しばらく続いた韓国の地方巡りをひと休み。
25号刻みで続けているあの企画を、
今回も引っ張り出してきたいと思います。
時計の針をキリキリと戻して思い出を語る、
ちょっぴりセンチな青春ストーリー。
コリアうめーや!!第250号。
10年前の新大久保から、スタートです。
<あの日あの時あの人と……10>
美味しいものを食べた思い出がある。
あの日あの時あの人と、一緒に食べた味わい深い思い出がある。
自分の生活を冷静に客観視するのは難しいが、
働くという部分においては、まあ頑張っていると思う。
会社員ではないので出勤、退勤の概念はないが、
早朝から深夜までパソコンの前にいるのも珍しくない。
フリーなので昼から飲んだくれる自由もあるが、
あるというだけで、ほとんど行使することはない。
平日に遊んでしまうと、そのツケが回るので、
結局、思うほど自由ではなく仕事に追われている。
ただ、そんな忙しい日々が嫌いではない。
自分で稼ぐことを始めたのは高校時代だが、
その頃から自宅近所のスーパーで毎日よく働いていた。
午後に学校から帰ると、その足でスーパーに通い、
終わったら、また夜8時半から家庭教師のアルバイト。
我ながら、働き者の高校生だったと思う。
大学生時代になると神田の寿司店でお茶を運び、
あるいは新橋の山芋料理店で包丁を握った。
ふとしたことから春日のパチンコ店に勤め始め、
「358番台ラッキースタートです!」
と場内アナウンスをしていたこともある。
大学を3年で休学して、韓国に留学する前も、
やはり資金稼ぎと称してアルバイト三昧の日々を送った。
午前10時から浜松町の不動産会社に出勤し、
「もしもし、ワタクシ○○不動産の八田と申します!」
「お近くで3LDKのマンションをご紹介しているんですが」
「お住み替えにご関心はございませんでしょうか!」
と元気な声でテレアポの仕事にいそしむ毎日。
そこで夕方5時まで働いた後、徒歩で新橋まで移動し、
今度は夜11時まで居酒屋でホールの仕事をした。
不動産会社が週6回勤務で6時間労働(休憩1時間)。
居酒屋が週5回勤務で5時間労働(休憩30分)。
不動産会社と居酒屋の休みは重ならないので、
丸々オフの日はなく、半日休みが週3回あるだけである。
当時はアルバイトながら、最高で月27万円の収入。
人生の中でも本当によく働いた日々だと思う。
その後、僕はその資金を持って韓国に留学をする。
留学中は翻訳の仕事を片手間にするぐらいだったが、
日本に戻ってきてからは、またアルバイト人生が始まった。
韓国式刺身店や、編集プロダクションでアルバイトをし、
大学を卒業しても、そのままフリーターであった。
ただ、フリーターだけでは格好がつかないので、
フリーライターも一緒に名乗ることにした。
それがいつしか本業となって現在に至るのだが、
僕の人生はほぼ、アルバイトの延長線上にあるといえる。
社会のレールから外れて呑気に遊んでいるうちに、
なぜかまた社会に戻ってしまったような感覚である。
そんな数多く経験したアルバイトの中で。
強く印象に残っているものをひとつあげてみると、
留学直後に勤めた、新大久保の韓国式刺身専門店がある。
大学に復学するまでの、わずか2ヵ月半ではあったが、
そこで得た経験は僕の中にいまも強く残っている。
いま新大久保をウロウロしながら活動しているのも、
当時のアルバイトがきっかけだったといえよう。
しかも、僕がいたのは2001年1~3月のことであり、
まだ新大久保がいまほどメジャーでない時期だった。
一応、サッカーのW杯を翌年に控えていたとはいえ、
韓流のかけらもなく、新大久保を訪れる日本人は稀だった。
やってくるのは、よほど韓国好きかモノ好きか。
あとは韓国人に連れられてきた人たちや、
隣町である歌舞伎町からふらりと流れてくる人たち。
あるいは風俗好きという人も少なくはなかった。
当時は歩いているだけで南米系のお姉さんに、
「遊ばな~い!?」
と声をかけられた時代である。
しかも薄暗い路地の中であればいざ知れず、
改札を出てすぐの大通り沿いから立っていた。
現在、その場所には、
「韓流百貨店」
なる超人気の韓流ショップが店を構えるてい。
南米系のお姉さんなどまったくもって姿はなく、
韓流ファンの女性であふれかえるばかりだ。
そんな光景を見ていると、
「時代は変わったものだな……」
と遠い目をしてしまうことがある。
10年ひと昔とはよくいったものだ。
とはいえ、されど10年という気分もある。
僕が新大久保で働いていた10年前の記憶は、
いまもまだ鮮烈なまま脳の片隅に陣取っている。
その中からいくつかをまとめて語ってみたい。
韓国式刺身専門店で僕が担当していた仕事は、
ホール全般および日本人係というものであった。
そもそもの絶対数が少ない日本人ではあったが、
僕が働いていた深夜は、酔客がそれなりに訪れた。
韓国クラブのお姉さんを伴ってやってくるのだ。
すると、店ではこんな会話が交わされる。
「いらっしゃいませ、ご注文は?」
「ん、うーんと……」
『ヒラメでいいわ。養殖のヒラメちょうだい!』
『天然のイシダイもオススメですよ』
『だって、この人お金ないっていうんだもん!』
『あー、そうでしたか』
「社長、ヒラメでいい?」
「ん、ああ、ヒラメね。よし、ヒラメいこう!」
『じゃ、お兄さん、ヒラメお願いね!』
『ヒラメですね』
『あと、おかずをたくさん。アタシお腹減ってるの!』
『あ、はい。かしこまりました』
『次はもっといいお客さん連れてくるからさ!』
『あはは、ぜひお願いします』
「ちょっと、なに楽しそうに話してるの?」
「あら社長、妬いてるの? 美味しいところをお願いねって」
「そうか、しかしお兄さん韓国語うまいね」
「ええ、ありがとうございます」
念のため書くと、普通のカギカッコが日本語。
二重カギカッコが韓国語での会話である。
社長が日本語しかできないのをいいことに、
韓国語の本音トークがバンバン飛び交う。
社長には申し訳ないが、ちょっと愉快な光景であった。
だが、逆に日本人担当を後悔することもある。
日本人客だからと聞いて注文を取りに行くと、
どう見ても、そのスジの方御一行様であったりする。
座席位置などから推測した感じでは……。
いかにもコワモテのお偉いさんクラスが1名。
その人が連れてきたと思われる客分的な人が1名。
その下に位置する中間管理職的な人が1名。
下っ端を取り仕切る人1名、そして下っ端が2名。
偉い人は上座に威圧感たっぷりで座っており、
逆に下っ端は、座席のスミでビシッと正座している。
それはもう見た目一発の上下関係である。
僕も、
「失礼があってはならない!」
という極限の緊張状態で接客をしたが、
偉い人たちほど、僕らへの応対は丁寧だった。
だが、偉い人が、
「おしぼりくれる?」
などとひとこと声をかけようものなら、
「おしぼ……」
のあたりで下っ端さんがズザッと席を飛び出し、
勝手におしぼりウォーマーの扉を開けている。
ビールも勝手に運ぶし、空いた皿もきれいにまとめる。
僕がすべき仕事のほとんどを下っ端さんがやるので、
緊張感は半端ないものの、仕事としては楽だった。
料理も基本的に上座でまず消費されたものが、
「お前らも食べろよ」
といった感じに下座へと流れていく。
偉い人からすすめられたものを残す訳にはいかないのか、
かつて見たこともないほどきれいに平らげていた。
接客の仕事も少なく、残りものもまったく出ず、
ホール担当としては非常にありがたいお客さんだった。
そして、もうひとり。
僕にとって印象的なお客さんがいた。
長い髪をざっと縛った狐顔の美人で、
年齢は20代前半の僕がお姉さんと感じるぐらい。
水商売風のいでたちなので詳しくはわからないものの、
30そこそこの年恰好ではないかと思われた。
深夜とあって、基本的に酔客だらけの店であったが、
そのお姉さんは物腰柔らかで、またいつも楽しげであった。
最初はよく見る常連さんというだけであったが、
あるとき注文の手違いを機に、僕が間に入って仲良くなった。
それもまた日本人担当としての仕事なのだが、
お姉さんは妙に感心して、僕のことを褒めてくれた。
ハスキーボイスが魅力的で、気前もよく、
「お兄さん、いつもありがとうね!」
「少ないけど、これで冷たいビールでも飲んで!」
「いいのよ、気持ちだから!」
とチップをくれたこともあった。
当時の僕はそれだけでメロメロになり、
「またお姉さん来ないかな」
と淡い恋心を抱くようになった。
だが、である。
その後、お姉さんがまた店にやってきたとき、
あるひとつの疑惑が生じることになる。
そのときは3名様でやってきたお姉さん。
アテンドしてきたとおぼしきその2人が、
見るからにオネエ系のお兄(姉?)さんであった。
当時の新大久保はそのスジの人も多かったが、
新宿2丁目から流れてくる人もずいぶん多かった。
威圧的な緊張感こそないが、時折りお尻を触られるので、
それはそれで油断のならない接客であった。
幸いにもお姉さんと一緒に来たその2人は、
僕には関心を見せず、むしろ2人の世界にいた。
気分よく酔っぱらいながらラブラブモードで抱擁。
互いにほおずりをしながら酒を飲むという、
とにかく全面的に幸せそうな雰囲気であった。
もちろんそれだけなら、
「うん、楽しんでくれたまえ」
と人ごとなのだが、そのときの僕はそれを眺めつつ、
ぐるぐるある悩みと戦い続けていた。
オネエ系のお兄さん2人と、お姉さんが来店。
見た感じ、普段から水商売風のお姉さんが、
店のお客さんを連れてきたという雰囲気だったが……。
そのお客さんがオネエ系。
「ん!?」
ということは……。
僕が恋心を抱くあのお姉さんも……お兄さん?
魅力的だと思われたハスキーボイスは……お兄さん?
あの優しくきれいなお姉さんが……お兄さん?
「えーと、えーと、えーと……」
そのときの僕に、それを確かめる勇気はなく、
そして謎は謎のまま、僕も店を辞めてしまった。
あれから10年経っていまも思う。
当時、心のマドンナだったあのお姉さんは、
本当にお姉さんだったのだろうか。
<リンク>
ブログ「韓食日記」
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<八田氏の独り言>
あれだけきれいならお兄さんでもいいかも。
そんな妄想をしていた24歳の冬でした。
コリアうめーや!!第250号
2011年8月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com