コリアうめーや!!第79号
<ごあいさつ>
6月も半ばとなり、
日本も、韓国も、梅雨まっしぐらです。
出かけるときは傘を手放すことができません。
家を出るときに降ってないからと、
手ぶらで出かけては、泣きをみる毎日。
そのたびに、慌ててコンビニに駆け込むので、
我が家の傘立てには、白いビニール傘があふれています。
どうにかなりませんかね。これ……。
って、普通に傘持って家を出ればいいんですけどね。
その簡単なことがなぜだか、ごにょごにょごにょ……。
さて、今号のコリアうめーや!!ですが、
前号に引き続き、初めて韓国に行ったときの話です。
右も左もわからぬ異国の地で、
ずいぶんと間抜けなことを致しました。
恥ずかしくも、思い出深いあのひとコマ。
「馬鹿だねえ」の一言を覚悟で書かせて頂きます。
コリアうめーや!!第79号。
少しほろ苦い気分で、スタートです。
<コーヒーの思い出1997冬!!>
「八田君。タバンコーヒーを知っているかい?」
キッチンのほうから首だけ出して、友人が言った。
金縁メガネの奥で、細い目がきゅっと笑う。
「た、たばんこーひー?」
と、マメがハト鉄砲をくらったような顔で聞き返すと、
友人は、こっちだこっちだと手招きした。
「タバン」とは漢字で書くと「茶房」。
かつては、喫茶店という意味で使われていたが、
最近では「カフェ」「コーヒーショップ」などの言葉におされ死語と化している。
また、タバンにはもうひとつの意味があり、
コーヒーを頼むと、横に女性が座って接客をしてくれる店のことでもある。
そのサービスについては深く語らないが、
深く語らないだけの理由があることを察してほしい。
「タバンコーヒーの作り方を教えてあげよう」
金縁メガネの友人が得意気に言った。
タバンコーヒーといえば、タバンで飲むコーヒーのこと。
なにやら特別なコーヒーでも出しているというのだろうか。
瞬間的に、怪しげな妄想がぐぐっと広がる。
「いいかい。まずインスタントコーヒーをスプーンに2杯」
ふむふむ。僕は真剣な表情で友人の動作を見つめる。
彼の手にあるコーヒーは、市販されているごく普通のものだ。
「次に粉末クリームを2杯。そして砂糖を2杯。そして……」
と、説明を続けながら、彼はポットのところまで移動する。
ポットのボタンを押すと、お湯がじょぼじょぼと出た。
ここまでは、何ひとつ変わったところは見られない。
「お湯を注ぐ。最後によくかき混ぜて……」
「よくかき混ぜて……?」
「できあがりだ」
「は!?」
金縁メガネの奥で、彼の目がにやっと笑った。
「で、できあがりなの?」
「うん。これがタバンコーヒーだ」
彼は満足そうに胸を張る。
「それって、ちょっと濃いめで、甘めに作ったコーヒーってこと?」
「そう、これこそが韓国人の好むタバンコーヒーだ。ちゃんと覚えておくんだよ」
「へ、へえー。あ、ありがとう……」
留学時代のひとコマ。
印象深い、思い出のひとつである。
ちなみにこのタバンコーヒーはとても甘ったるい。
だが、この甘ったるいコーヒーこそが、韓国の味なのである。
韓国ではこの甘ったるいコーヒーを飲むか、
またはその正反対に、薄い薄い薄いコーヒーを飲むかである。
韓国のカフェで飲むコーヒーはなぜかとても薄い。
最近でこそ、外資系のコーヒーショップが林立し、
それなりにコーヒーを楽しめるようになってきたが、
それまでの韓国は、コーヒー不毛の地として外国人居住者を悩ませてきた。
韓国の薄いコーヒーを、ある人は「おこげ水」と表現し、
またある人は「ほの苦い麦茶」であると語った。
カフェで飲むコーヒーですら、アメリカンよりもさらに薄く、
当然のように、留学生たちの不満はすさまじかった。
だが僕だけは、その不満を表に出すことができなかった。
それは、ひとつの思い出に由来する。
今をさかのぼること7年前。
1997年2月のことである。
「じゃ、ここで大丈夫だな」
「うん、大丈夫。今日はありがとねー」
そう言って僕はみんなに手を振る。
韓国で知り合った友人たちは、僕を宿の近くまで見送ってくれた。
すでに深夜1時近い頃。調子に乗って遊び過ぎたようだ。
「門限をだいぶ過ぎてしまったな……」
軽い不安が僕の頭をよぎる。
このとき僕は、明洞の近くにある、寄宿舎のようなところに泊まっていた。
韓国に初めて来た僕が、安い旅館を探していると言うと、
友人のひとりがコネを使って放り込んでくれたのである。
その寄宿舎は、朝夕の食事がついて、料金も格安だった。
だが、寄宿舎だけあって、門限というものが存在する。
「門限は10時だから、それまでにきちんと帰って来るように」
という寮母さんの厳しいお達しがあったにもかかわらず、
僕は友人との宴会にかまけ、派手な門限破りをしてしまったのだ。
「ま、なんとかなるだろ……」
と、甘く考えていた僕だったが、
世の中、そんなに都合のいいことばかりではない。
到着してみると、案の定、大きな鉄の門がびしっと閉ざされていた。
とてもよじのぼれるような高さではなく、
また、くぐり抜けられそうなところもない。
僕は周囲をウロウロしてみたが、もぐりこめるようなところはなかった。
「え、えらい厳重な戸締りだな……」
門の前で愕然とする僕。
無理もない。
ここはキリスト教系の寄宿舎であり、
また女子学生専用なのである。
僕は行く当てのない外国人旅行者ということで、
特例中の特例として放り込まれたのだ。
この門をよじのぼって中に入るとすると、
痴漢に間違えられる可能性があるな……。
それ以前に、この酔っ払った身体でそんな冒険をすると、
落っこちて大怪我をするかもしれない。
「さて、どうしたものか……」
僕は酩酊する頭脳にムチをいれ、状況を冷静に分析していく。
脳みその歯車がキリキリと回り、この最悪の事態にも対処する、
最善の方策を導き出……せるはずもなく、
「いいや、めんどくさい。ここで寝ちゃえ」
と、門の前で眠り始めた。
目が覚めたのは、およそ1時間後。
時計を見ると、午前2時を少し回ったところだった。
ぼんやりとした頭で、まず感じたのは、
「さ、寒い……」
ということであった。
もう1度、説明しておこう。
これは、今をさかのぼること7年前。
1997年「2月!」のことなのである。
ソウルの2月といえば、言うまでもなく厳寒期。
夜中ともなれば、マイナス10度以下になることも珍しくない。
ガタガタガタガタガタガタガタガタ。
身体の震えがとまらない。
ガチガチガチガチガチガチガチガチ。
歯が噛み合わず、カスタネットのような音をたてている。
「いかん。このままでは凍死してしまう……」
どこか、24時間営業のファミレスでもないだろうか……。
と、あたりを歩き回ってみたが、営業している店は1軒もなかった。
どの店も、シャッターが閉まり、あたりは静まりかえっている。
「これは本当にまずいかも……」
手足が段々と重たくなり、歩くことそのものがつらくなってきた。
身体が冷え切っているので、動かそうにも動かない。
韓国語のできる今なら。
また、韓国の生活に慣れた今なら。
タクシーで旅館を探すなり、誰かに助けを求めるなり、
なんらかの対応策を導き出せることだろう。
だが、そのときの僕は韓国語もろくすっぽできず、
ソウルの町は右も左もよくわからなかった。
おまけに酔っ払っているので、正常な思考もできない。
寒さは、頭の働きをさらに鈍くし、僕の気力を奪っていった。
「もう歩くのも疲れたし、眠たいし、どうでもよくなってきた……」
とりあえずこの吹きつける風だけ、なんとか避けられればいい。
そう考えた僕は、階段を下りて、地下道へともぐりこんだ。
「あは、風がないだけでも、ずいぶんあったかいや……」
僕は、地下道の片隅にペタンと座り込み、
やがて、重力に身を任せて、ドスンと横になった。
もぞもぞとナップザックを背中からはがし、枕にする。
「あったかい、あったかい……」
と呪文のようにつぶやく僕。
すでに感覚が麻痺していたのかもしれない。
風がしのげたくらいでは、暖かさなど感じられるわけがない。
うつら、うつらと、眠りに落ちる直前。
誰かが僕に声をかけた。
だが、その言葉は韓国語だったので、僕には意味が理解できなかった。
朦朧とした意識の中で、
「あ、これは何か怒られているんだな……」
と感じた。ここで寝たら駄目だと。
要は、敷地内から出て行けということだろう。
だが、ここを追い出されても行くところはない。
「えと、あの、その……」
なんとか言い訳しようとするも、韓国語はしゃべれない。
頭も働いていないので、ただ、しどろもどろになるだけである。
と、そのとき。
「日本人か?」
男は、日本語でそう言った。
「ここで寝るとたいへんなことになるぞ」
というようなことを言われた気がする。
この人、日本語しゃべれるんだ……。
という安心感だけしか、もう覚えていない。
「こっちへ来なさい」
僕はふらふらする身体を、床から引き剥がすようにして起こし、
手招きする、その男の後についていった。
男が案内してくれたのは、地下道の一角。
風を避けるためだろう。ちょうど袋小路のようになった場所だった。
その中央にはダルマストーブがひとつ置かれ、
囲むようにダンボールや新聞紙などが敷き詰めてあった。
「そこに座りなさい」
男は、ストーブの正面にある、パイプ椅子を指差した。
ストーブは暖かく、かざした手から、熱が全身に伝っていくようだった。
僕は差し出された毛布を身体にまきつけ、やがて眠りに落ちた。
僕を助けてくれたのは、明洞の地下道をねぐらにするホームレスだった。
彼が偶然通りかかって助けてくれなかったら、
冗談抜きで、あのとき凍死していたことだろう。
まさに命の恩人であり、いくら感謝しても足りることはない。
翌朝。といっても午前6時過ぎくらい。
やっとあたりが明るくなり、僕はその人に礼を言って外に出た。
あたりは寒かったが、もう我慢できないほどではなかった。
僕はしばらくあたりをフラフラした後、
やっと開店した、ひとつのコーヒーショップに入り、
ホットコーヒーをひとつ頼んだ。
身体に染み入るあたたかさ。
「おいしい……」
心からそう思った。
以上が、韓国における、僕のコーヒー初体験である。
この体験が根底にあるため、僕は韓国のコーヒーを否定できない。
たとえ麦茶のように薄いアメリカンであっても、
それは命の恩人を思い出させる味なのだ。
韓国のコーヒーはおいしい。
感謝の気持ちによる、僕だけの味覚かもしれないが、
韓国のコーヒーは、確かにおいしい。
<お知らせ>
コーヒーの写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/
<八田氏の独り言>
長い間、黙っていた話です。
でも韓国で死にかけた経験、実はもう1回あります。
コリアうめーや!!第79号
2004年6月15日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com