コリアうめーや!!第57号
<ごあいさつ>
夏がすぐそこまでやってきています。
だらだらと汗を流す夏。
ずるずると素麺をすする夏。
高校野球を見ながら手に汗握るもよし。
かき氷を食べて頭をきーんと痛めるもよし。
ウナギやスイカも僕らを待っています。
ああー、早く夏にならないかなあ……。
さて、今号のコリアうめーや!!ですが、
長い間ほったらかしにしておいた、
安東のむかしむかし物語その2を書きました。
第48号で書いた安東名物の偽ビビンバに引き続き、
同じく安東名物の塩サバであります。
といってもただの塩サバではありません。
安東の人々が作り上げた努力と叡智の味。
コリアうめーや!!第57号。
韓国サバ街道をスタートです。
<安東むかしむかし物語その2>
安東(アンドン)といえばサバである。
などと断言してしまうと、あちこちから苦情がくるかもしれない。
なにしろ安東は名物と呼ばれる料理だけでもすごい数なのだ。
2001年に大ブレイクした安東チムタクにはじまり、
安東韓牛、安東シッケ、安東クッパプ、安東焼酎、
ホッチェサパプ、コンジンククス、と枚挙にいとまがない。
そう、安東は食文化の宝庫、食道楽の聖地なのである。
安東といえばかつて両班や儒学者を多く排出した由緒ある土地。
そのため食文化が発達し、数々の名物料理が生れることになったのだ。
その中のひとつが、安東カンコドゥンオである。
韓国語で、カンが塩漬け、コドゥンオがサバを意味する。
すなわち塩サバのことである。
塩サバなどと簡単にいってしまうと、
そのへんの日替りランチ700円と大差なく聞こえてしまうが、
かつて安東で塩サバといえば、なによりの御馳走だった。
運搬技術や冷凍技術がまだ発達していなかった時代。
内陸地の安東において、海でとれる魚は大変貴重だったのである。
海の魚をどうにかして食べることができないか。
そう考えた安東の人たちが、創意工夫を重ねて作り上げたのがカンコドゥンオ。
そのカンコドゥンオにまつわる、昔話を紹介してみたい。
舞台は安東から最も近い港のひとつ、盈徳(ヨンドク)から始まる。
現在はズワイガニの産地としても知られる港町である。
安東の人々が新鮮な魚を求めようとする場合、
約80km離れたこの盈徳まで足を運ぶ必要があった。
今でこそ安東から盈徳までは車で1時間の距離であるが、
かつては人や牛が歩いて、ゆうに1泊2日はかかる距離だった。
盈徳で水揚げされたばかりの新鮮な魚を仕入れても、
安東に戻ってくるころには、すでに鮮度は失われてしまう。
まして痛みがはやく、生き腐れとも呼ばれるサバである。
わざわざ持ってきても、痛んで食べられないということもあった。
生のサバをそのまま運んでこられない以上、
なんらかの加工を施さなければならない。
そこで考え出されたのが、サバを塩漬けにする方法であった。
ただし、塩漬けにするだけだったら特別な話ではない。
普通の塩サバであれば韓国全土、どこでも食べることができる。
安東のカンコドゥンオが全国的な名声を得るに至った理由。
それは塩漬けにする場所にこだわったためなのである。
一般的にサバを塩漬けにする場所は3つに分けられる。
まず、サバをとった船の上で、すぐに塩漬けにする方法。
次に、とったサバを港に持ち帰り、水揚げしてから塩漬けにする方法。
そして最後が、生のサバを消費地域まで持ち運んで塩漬けにする方法。
安東のカンコドゥンオは最後の方法で塩漬けにされた。
ちょっと想像する限りでは、
とれたての新鮮なサバを塩漬けにしたほうが味はよさそうである。
いくら足の速いサバとはいえ、さすがに釣られた瞬間から腐ることはない。
イキのいいところを、そのまま保存できそうな気がする。
ところが、ひとつ重要なことがある。
サバに限らず、肉でも魚でも、食べてうまい時期というのがある。
難しい話をすれば、酵素によってタンパク質が分解され、アミノ酸が増えるとき。
グルタミン酸とアミノ酸の相乗効果で魚の旨味が倍増するのである。
釣り上げられてすぐのサバを塩漬けにするよりも、
死後硬直の後、酵素によって分解が進んだサバのほうが断然うまい。
安東のカンコドゥンオはそのうまい時期を見計らって作られたのである。
まだ夜も明けない時刻。
男たちは盈徳の港で、水揚げされたばかりの新鮮なサバを仕入れる。
ある者は背負い、ある者は牛に乗せ、夜明けと同時に出発する。
ほんのわずかな弁当だけを持ち、休む間もなく歩き続ける。
ほとんど休憩もとらず、汗をダラダラと流し、ただひたすらに黙々と歩く。
やがて日が暮れ、もう道がわからなくなるという頃に着くのが黄腸山の峠。
この峠を越えたところの村まで来て、やっとわずかな休息をとることができる。
しかし目的地である安東はまだまだ先である。
一息つける場所とはいえ、そこで荷を下ろすことはできない。
前日と同様、夜が明ける頃には、また出発しなければならないのだ。
せっかくのサバを腐らせてはならない。
安東の人たちに、うまい魚を食べさせてやりたい。
サバを背にした男たちは、そんな思いを胸に、ひたすら歩く。
そしてたどり着くのが臨東(イムドン)のチェッコリ市場。
現在はダム建設のために、水没してしまった伝説の市場である。
ここまで来れば安東はもう目と鼻の先。
男たちはここで荷を下ろし、すぐさまサバに塩をふるのだ。
なぜ、このチェッコリ市場でサバを加工するのか。
それは水揚げから1泊2日たったこのときこそが、
酵素によってサバの旨味が最大限に引き出されたときだからである。
ここでサバは大量の塩に漬けられ、長期間の保存が可能になる。
こうして誕生したのが、安東名物のカンコドゥンオである。
その当時の人々が、酵素や酸の関係を知っていたとは想像し難い。
おそらく体験的にサバの最もうまい時期を知っていたのだろう。
長い間の経験が生んだ安東のカンコドゥンオ。
その味たるや、安東に住む人たちはおろか、
新鮮な魚が手に入るはずの海辺の人々までをも魅了したという。
現在は運搬技術が発達しており、このような方法を取ることはないが、
安東の人々が作り上げたカンコドゥンオの味は今も継承されている。
保存性の高い安東カンコドゥンオは、安東地域で食されるほか、
安東を訪れた観光客たちのお土産としても広く愛されている。
安東を歩けば、あちらこちらでサバの絵が描かれた紙袋をみかけることだろう。
そのカンコドゥンオを安東で食べてきた。
ふらりと入った1軒の食堂で食べたカンコドゥンオ定食。
チゲとごはん、9品のおかずがついて6000ウォン(約600円)であった。
運ばれてきたのは、頭から尻尾まで25cmくらいのカンコドゥンオ。
大きすぎず、中ぶりのしまったサバという印象であった。
飴色にこんがり焼かれたカンコドゥンオは、てらてらと光って見えた。
腹のあたりに箸を突き立てると、じゅわっと脂が染み出してくる。
中ぶりのサバでも、しっかりと脂がのっているようだ。
口に運ぶと柔らかく身がほぐれ、豊かな旨味が広がった。
ほどよい塩加減。ごはんとよく合う。
確かに名物と呼ばれるだけのことはあると思った。
だが、そのカンコドゥンオを食べながら少し思った。
運搬技術の発達してしまった現代では、サバそのものが珍しい魚ではない。
新鮮なサバは、すでに韓国のどの地域でも食べることができるのだ。
そうしてみると、目の前にあるサバを食べてうまいと思う気持ちは、
かつて安東の人たちが味わった感動には、遠く及ばないに違いない。
その事実に気付いてしまった瞬間。
目の前にあるカンコドゥンオが少し色あせて見えた。
サバを1匹平らげ、僕は店を出た。
昔の人たちの感動には及ばないかもしれないが、
それでも充分に満足のいく食事であった。
安東のカンコドゥンオはおいしい。
それは僕の感動の大きさに関係なく、
今も昔もおいしいのである。
<お知らせ>
カンコドゥンオの写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/
<お知らせ2>
書籍刊行についての話ですが、都合により発売日が1週間延びました。前号では7月15
日と書きましたが、正しくは7月22日になります。一応全国の書店にて発売されますが
部数にも限りがあるのでご予約されたほうが確実です。また大きな書店でご予約頂くと、
売れたという実績が出版社のほうまで届くため、出版社及び著者である八田氏が涙を流し
て喜ぶということになります。発売まであと1週間。まだ遅くありません。ご購入を予定
されている方は、もう一手間かけて大書店での予約をお願いします。ワガママな著者で大
変申し訳ありませんが、何卒宜しくお願い致します。
書籍に関する詳しい情報はコチラをごらんください。
http://www.koparis.com/~hatta/news_000.htm
<お知らせ3>
プサンナビというサイトで市場探検の記事を書きました。
八田氏が巨済島(コジェド)の市場を語っています。
http://www.pusannavi.com/area/area_r_article.html?id=123&ArtNo=3&area=
<八田氏の独り言>
さばさばした鯖。
などという駄洒落で本編を台無しにしてみる。
コリアうめーや!!第57号
2003年7月15日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com