コリアうめーや!!第196号
<ごあいさつ>
5月になりました。
すっかり気候もよくなり初夏の趣。
ぽかぽかとした暖かい日々に、
半袖シャツでの外出が増えています。
これでどこか遠出でもできたらいいんですけどね。
世間はゴールデンウィーク真っ盛りですが、
フリー稼業の僕にはまったくもって無関係。
たまった仕事をコツコツ片付けながら、
普段通りの暮らしを続けております。
なので、せめて意識だけでも韓国へ。
第187号で昨年のベスト10に加えながらも、
詳細な報告がまだだった忠清道旅行を取り上げます。
テーマとなるのはとある高級食材。
忠清道で待っていたのは意外な感動でした。
コリアうめーや!!第196号。
値段にも注目の、スタートです。
<こんなに美味しい高麗人参は初めてだ!!>
そこまで積極的なお付き合いはなかった。
仲が悪いというほどではないものの、
自ら歩み寄って仲良くすることもない。
人間関係に例えるならば、顔見知り程度だろうか。
ご近所の人、友人の友人、直接関わりのない仕事関係の人、
同コミュニティだが別グループの人、などなど。
会えばにこやかな笑顔で、
「ああ、どうもー」
と挨拶を交わすものの、
それ以上の話題には発展しない関係。
そういう微妙な間柄の人としばしの間、
会話を交わさねばならない状況はままある。
例えばこんなシチュエーション。
友人の友人を交えて3人で飲みに行く。
真ん中に立つ友人はどちらとも親交があるものの、
友人の友人同士は基本的に他人である。
仮に僕と親交のある友人を中野くん。
中野君が紹介してくれた友人を取手くんとしよう。
3人揃っているうちは話が弾むものの、
その途中で中野くんが、
「ちょっとトイレ」
などと席を外したりする。
この瞬間がつらい。
僕と取手くんはつい先ほど会ったばかりなので、
2人きりになると、話題に困ってしまう。
和やかさを保たねばならぬ、と互いに気を遣いあい……。
「あ、串焼きひとつ残っていますよ」
「あ、そうですね。八田さん、食べちゃってください」
「いえいえ、取手さんこそ、どうぞ」
「いえいえ、そんな。八田さんこそどうぞ」
などという間抜けな会話が展開される。
なんとか打ち解けた雰囲気で会話をと思うのだが、
そう簡単にはいかないのが悩ましいところだ。
また、話はこれだけで終わらない。
3人での飲み会が終わって、
じゃあ、解散しようかと駅に向かう。
するとその途中でこんな会話が出てくる。
「どうやって帰ります?」
ちなみに飲んでいたのは新宿だったとしよう。
JR線だけでなく、地下鉄、私鉄の可能性もあるため、
適当な場所で、解散をするのが望ましい。
「僕は中野だから中央線で帰るよ」
と中野くん。
なお、中野くんはダジャレでいっているのではなく、
話の都合上、本当に中野に住んでいるのである。
同様に取手くんは茨城県の取手に住んでいる。
従って、
「僕は日暮里まで出て常磐線に乗ります」
と取手くんはいう。
ここで僕がギクッと衝撃的な事実に気付くのだ。
僕が住んでいるのは三河島なので、まったく同じルート。
日暮里乗換えで、常磐線に乗らねばならない。
「あ、じゃあ僕と同じ方向ですね!」
などと快活な合いの手を打つとともに、
じゃあ、一緒に帰りましょうと話がまとまる。
これまたよくある話だが、これがしんどい。
中野くんのトイレはせいぜい5分程度だが、
帰りの電車は30分以上も一緒である。
共通する話題をかき集めて、必死に会話をつなぎ、
三河島で別れる頃には、もう疲労困憊。
「ああ、くたびれた……」
という状況は書いていてもしんどい。
と、ここで僕は気付くのだが、
本来の話題から大幅に脱線してしまった。
書きたかったのは高麗人参の話。
メルマガの冒頭で凝ったことを書こうとして、
収集がつかなくなるのはいつものことだが、
今回はそれが特にひどかった気がする。
高麗人参をこれまであまり好んで食べなかった。
でも嫌いというほど、嫌いな食材ではない。
むしろサムゲタンに入った高麗人参は喜んで食べる。
だが、せいぜいその程度でほかにお付き合いがない。
「そこまで積極的なお付き合いはなかった」
ということで冒頭の書き出しにつながるのだが、
なぜここまでエスカレートしたのかまったくもって不明。
中野くんも、取手くんもモデルすら実在しない。
ということで強引に本題へと戻る。
昨年5月に忠清道方面を旅行してまわった際、
沃川、大田などとともに、錦山(クムサン)へも足を運んだ。
忠清南道の錦山市は韓国でも有名な高麗人参の産地。
市内には高麗人参の畑が至るところに広がる。
そこで僕が目指した料理はふたつ。
ひとつは高麗人参の本場で食べるサムゲタン。
もうひとつはインサムオジュクという料理だった。
韓国語でインサムが高麗人参、オジュクは魚粥。
すなわち高麗人参入りの魚粥である。
忠清道は内陸部に位置するため川魚料理が多く、
オジュク自体も、さまざまなところで食べられる。
錦山ではそこに名産品の高麗人参を入れたというわけだ。
僕は錦山のバスターミナルに到着してすぐ、
タクシーで、楮谷里(チョゴンニ)という集落を目指した。
楮谷里には川内江という川が流れており、
ここでとれた川魚料理の専門店が多く集まっている。
到着してみると、目の前は一面の高麗人参畑。
その脇を川が流れるという、実にうららかな場所であった。
これぞ韓国の田舎! と感動してしまう景色である。
僕はタクシーを降りて1軒の食堂に入る。
店名はその集落の名前から取って「楮谷食堂」。
オープンは1968年と、一帯ではもっとも歴史が古い。
インサムオジュクだけでなく、川魚の鍋料理や、
トリベンベンイ(オイカワの揚げ焼き)もある。
店に入ると、強烈な高麗人参の香りに包まれた。
瞬間的に大地を連想させる土っぽい香り。
特有のほろ苦い味わいが、香りだけで口に広がるようだ。
インサムオジュクを注文し、やがてそれが運ばれてくると、
店内に満ちていた香りは、よりいっそう増幅された。
インサムオジュクは見た目どろどろの液体。
味付けに唐辛子を使用しているため全体に赤く、
米だけでなく、ウドンやすいとんも一緒に入っている。
ただし、オジュク(魚粥)といえども、
どろどろのスープに、魚の姿は見当たらない。
チュオタン(ドジョウ汁)などの場合でもそうだが、
韓国では魚をすりつぶしてスープに入れる習慣がある。
この手法だと魚の姿形が見えなくなってしまうが、
魚の栄養分を、骨まで余さず摂取できる。
また魚の大きさがあまり揃わない場合でも、
それぞれ不公平がないよう、分けられるメリットもある。
ちなみに錦山近辺でとれる川魚は、
主にオイカワ、フナ、ドイツゴイ、ギギなど。
これらを全部一緒に煮込んだあと、ミキサーですりつぶし、
塩、唐辛子、味噌などを混ぜて味付けをする。
ごはんを入れればオジュクになり、
かわりに麺を入れればセンソングクスという料理になる。
オジュク同様、忠清道の内陸部では一般的な料理だ。
インサムオジュクは香りこそ高麗人参の印象が強いが、
食べてみると、川魚の豊かな旨味が溶け出ていた。
素朴ながらも郷愁を誘う、穏やかで懐かしい味付け。
川の恵みと里の恵みを重ねて作る、
地元ならではのよさが料理に満ち溢れていた。
インサムオジュクを楽しんだ後、
ふたたびタクシーに乗って市内中心地に戻る。
次なる目的料理はサムゲタンだ。
ソウルでもどこでも食べられる料理だが、
高麗人参の本場で食べれば、また印象が違うはず。
と意気込んで有名店を目指したのだが……。
こちらの印象はあまり芳しくなかった。
なので割愛。
むしろ大きな感動はその後に待っていた。
サムゲタン専門店を出た直後、
その向かいに、屋台風の店舗が並んでいるのを見つけた。
各店の店頭には大きなフライヤーが設置されており、
そこで高麗人参を揚げているようだった。
店の看板には、
「高麗人参の天ぷら 1本 1000ウォン」
「高麗人参マッコルリ 1杯 1000ウォン」
と大きく書かれている。
どの店もメニューはこの2つしかないようで、
その専門性も驚きだが、値段が極端に安いのも気になる。
日本円にすれば、100円にもならない値段である。
そもそも高麗人参は漢方薬の中でも高級な存在。
高麗人参の天ぷらは宮中料理のひとつにも数えられる。
それが1000ウォン。
産地とはいえあまりの値段だ。
インサムオジュクとサムゲタンを食べ、
おなかはいっぱいだったが、話の種にと入ってみた。
「天ぷら1本とマッコルリ1杯!」
店の人にを声をかけて2000ウォンを払う。
どちらも注文から、ほとんど間をあけずに運ばれてきた。
値段が値段なのであまり期待していなかったが、
出てきた天ぷらは、なかなかに見事なサイズであった。
後で聞いたところによると3年物の高麗人参。
最高ランクの6年物に比べるとやや細いものの、
頭からひげ根の先まで10センチ以上はある。
宮中料理店で食べたら、ずいぶんな値段になるだろう。
その見事さにしばし見とれていると、
「これにつけて食べてね」
と小皿がひとつ追加で出てきた。
ちょっと粘り気のある、紺色の液体。
舐めてみると、濃厚な甘さが口に広がった。
これは高麗人参の蜂蜜漬けを作ったときに残った蜜とのこと。
蜜の中には高麗人参のエキスがたっぷり溶け出ており、
さらなる薬効が期待できるうえ、味の相乗効果も見込める。
宮中料理店などでは塩をつけて食べることも多いが、
蜜をつけたほうが、苦味も和らいでよさそうだ。
「サクッ!」
揚げたての天ぷらはさすが食感も軽やか。
アツアツを噛み締めると、その豊かな味わいに驚いた。
宮中料理店で出てくる天ぷらとは次元が違う。
高麗人参をここまで美味しく食べる料理があったのか!
と思わず目を見開いてしまったぐらい。
これまであまり好ましいものではないと思っていた、
土の香りが、魅力的なものとして鼻をくすぐった。
間髪入れずマッコルリをグビリとやると、
その香りがさらに奥行きを持って広がる。
「これが高麗人参の真価……」
わずか1000ウォンの天ぷらとマッコルリが、
高麗人参の魅力、そして産地の実力を知らしめてくれた。
錦山の高麗人参料理はさすがだった。
かつて不老不死の妙薬とされた高麗人参は、
薬としてだけでなく、食材としても充分に美味しい。
そう実感できたことは大きな幸せであった。
僕はそれまでの距離を置いた付き合いを改め、
今後は高麗人参と積極的に仲良くなっていこうと思った。
その決心が、冒頭の書き出しにとつながっている。
だが、僕は思う。
僕はもう高麗人参と仲良くなっているのではないか。
すでに深い関係でお付き合いができているのではないだろうか。
仮にいま高麗人参と帰りの電車が一緒になったとしても、
話題を探してあせったりすることもないはず。
「いやあ、ご出身の錦山に行きましたよ」
「名物のインサムオジュクも食べに行ったんですけどね」
「それよりも天ぷらとマッコルリがよかったですなぁ」
という会話で盛り上がれる。
高麗人参は人型に近いほど薬効が高いという。
実際に会話ができるぐらいの高麗人参が見つかったら、
ぜひ僕のところまで持ってきて欲しい。
<お知らせ>
仕事が忙しくHPの更新ができません。
落ち着いたら、まとめて更新したいと思います。
http://www.koparis.com/~hatta/
<八田氏の独り言>
微妙な関係の人とも困らずに会話ができる。
そんな話術を身につけたいものです。
コリアうめーや!!第196号
2009年5月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com