コリアうめーや!!第123号
<ごあいさつ>
4月15日になりました。
まだ風の冷たい日も少しありますが、
基本的には暖かい春の訪れを感じます。
僕の住む東京では桜も散って葉桜に。
もうしばらくすれば新緑の5月がやってきます。
家にこもるよりも外に出たい季節ですよね。
お弁当を作ってお出かけなどしたい気分。
あるいは広い公園で昼寝というのも悪くありません。
暖かさの喜びを全身で味わいたい今日この頃です。
さて、今号のコリアうめーや!!ですが、
ちょっと個人的な話を書いてみました。
東京新大久保にある行きつけの店が営業を終え、
店の方が韓国へ帰られることになりました。
これまで本当にお世話になった店に、
ありがとうの気持ちを込めて。
コリアうめーや!!第123号。
思い出いっぱいの、スタートです。
<ありがとうチャンナム家!!>
韓国留学時代は飲んでばかりいた。
住んでいた寄宿舎が繁華街に近かったこと。
同年代の友人がたくさんいたことなどが理由だが、
それ以前にやっぱり飲むことが好きだったのだろう。
しかもただ飲むだけでなく派手に飲むのが好きだった。
もちろん学生の身分なので派手と言っても知れている。
ひと晩でドンペリをポンポン開けるとか、
お姉さんのいる店に繰り出すとかではない。
もっとマヌケで青臭い派手さに終始していた。
そう、例えばピッチャービールの一気とか。
仲間の多かった僕らは20人、30人で飲むこともあり、
そのくらいの人数で飲むにはピッチャービールが最適だった。
宴席が盛り上がってくると目の前のピッチャーを手にし、
ゴツンとぶつけあってはガブガブと飲み干した。
さすがに2リットル、3リットルの一気は無理なので、
3割から5割ほど残ったピッチャーを選んではいた。
何度もやるのでコツを覚え、以下のようなことも学んだ。
・量よりも冷たさが敵、ぬるいビールを選ぶ
・飲み口が広いので気をつけないと顔にかぶる
・ノドを開いたまま飲むと大量に速く流し込める
・万一のリバースに備えトイレの位置を確認しておく
留学生活とは関係ないことばかり賢くなった。
そんな僕が日本に帰ってきたのは2000年末。
翌2001年は僕にとって大学4年生をやる年だった。
ただし年数で数えれば7年目。古株もいいとこである。
留学時代の友人はほとんどがそのまま韓国に残ったので、
僕だけがひとり日本での生活に舞い戻ったことになる。
韓国つながりの友人もなく、韓国情報も少ない頃だ。
僕は日本に住みつつも、まだ心の半分以上が韓国にあり、
気持ちの折り合いをうまくつけられず、バランスを失っていた。
韓国料理店でアルバイトをし、月に29日間働いたり、
書くことで消化しようとメルマガを創刊したのもこの頃から。
コリアうめーや!!の創刊は2001年3月だ。
そんな僕がチャンナム家に出会ったのはこの年の秋。
東京新大久保に位置する韓国家庭料理店で、
友人の友人が行きつけということで、連れていってもらった。
年配夫婦が2人で切り盛りする小さく狭い店である。
テーブル6つ。20人も入ればもう満員だ。
この日は日本人2人、韓国人2人で飲んだのだが、
居心地のよさからか、久しぶりに派手に飲んだ。
出てきた料理が美味しかったこと。
出入りする客のほとんどが常連の韓国人だったこと。
店のご夫婦も日本語が上手でなく韓国語で会話をした。
感じるそのすべてが韓国の雰囲気そのものであった。
この日、僕がどれだけ飲んだのかは記憶にないが、
その後の話を聞くに、かなりの飲みっぷりだったと思われる。
後日、すぐ隣の韓国料理店に行く機会があったのだが、
店の前を一瞬通り過ぎた僕を見て、店は大騒ぎだったらしい。
「お、今通ったのこないだのアイツじゃないか!」
「あー、あの子。よく飲んでたあのときの!」
「本当によく飲んでたよな、アイツは」
みっともない話だが、一発で顔を覚えてもらった。
以来、僕はこの店に足繁く通い、これまで本当に世話になった。
ワールドカップのときは30人ほどの団体で無理やり入った。
誕生日には韓国では必ず食べるワカメスープを作ってもらった。
韓国のテレビ取材を受けたときも色々と協力してもらった。
いつ行ってもにこやかに歓迎してくれるのは当たり前。
前を通りかかっただけでも、ちょっと上がって行けと呼び止められ、
コーヒーの1杯でも飲んで行けと誘ってくれる。
ときには上がりこんで、まかないごはんをご馳走になったりもした。
もともとが世話好きのご夫婦である。
サービスがよく、人柄もよく、料理も美味しい。
誰と行ってもよく、誰に薦めてもいい店というのは本当に貴重だ。
いつしか一緒に行ったそれぞれの人が常連として店に通い、
また別の人を連れて行くという、常連が常連を呼ぶ店として有名になった。
家庭料理全般なんでも美味しいが、特に鶏料理の評判が高く、
ぶつ切りにした鶏肉と野菜を煮込んだタットリタンが絶品。
ほかにも茹でた鶏肉に粗塩をつけて食べるタッペクスクや、
フライドチキンに甘辛いタレをかけたヤンニョムチキンもファンが多い。
また、料理を作るアジュンマ(おばちゃん)の腕もさることながら、
料理を運ぶアジョッシ(おじちゃん)の愛情あふれるサービスも売り。
焼肉メニューを注文すると、付きっ切りで焼いてくれるのみならず、
勢いに乗って、そのまま口まで運んでくれたりもする。
「さあ、食べるよ! どんどん食べる!」
カタコトの日本語ではあるが、不自由することはない。
いつもにこやかな笑顔と、陽気な冗談で楽しませてくれる。
心の底からくつろげる、本当に暖かい雰囲気の店だ。
また、僕が世話になったのは書く仕事を始めてからも大きい。
レシピ紹介の記事を受けたときには協力をお願いし、
料理の写真が必要になったときは、特別に作ってもらった。
料理上手なアジュンマの腕に、何度助けられたかわからない。
中でもいちばん印象的なのは、雑煮の記事を書いたときである。
日本だけでなく、韓国でも正月には必ず雑煮を食べる。
韓国語ではトッククと言い、日本の雑煮と少し違うのは、
もち米ではなくうるち米の餅を使って作る点だ。
僕はその記事を書くために、雑煮の写真を必要としていた。
自分なりに目星はつけていたから安心していたのだが、
土壇場になってその撮影が不可能になってしまったのだ。
韓国ならまだしも日本にいては代替写真も探せない。
原稿は書けていたが、写真も一緒に送らないといけなかった。
しかも締切は翌日の朝である。
自分で作るか、という考えも頭をかすめたが、
仕事に使うほどの料理をこの土壇場で作るのも難しい。
どうする、どうする、どうする……。
「あそこに頼むしかないか……」
時計を見るとすでに終電近い時間であった。
普段であれば店もそろそろ閉める頃。
迷惑な時間帯だが、もうほかに考えられる手段もない。
僕は大急ぎでチャンナム家に向かった。
「す、すいません……」
と店を訪ねた僕の顔は少し青ざめていたのだろう。
笑顔で迎えてくれたアジュンマの顔が、
瞬時に「こいつ何かあったな」という顔になった。
すでに厨房の片付けも終わった状況だったが、
事情を説明すると、さっと材料を準備して料理を作ってくれた。
「助かった……」
アジュンマの好意によって無事に撮影を終え、
翌朝一番で写真を送ることができた。
その後、菓子折りを持って店に走ったのは言うまでもない。
そのチャンナム家がこのほど営業を終了した。
と言っても店そのものがなくなったのではなく、
営業を別の人に引き継いで引退したのだ。
世話になったアジョッシ、アジュンマは釜山へと帰る。
日本での生活がずいぶん長くなったこと。
韓国に残してきたお嬢さんが今年の秋に結婚すること。
また、これまで年中無休で働いてきた疲れもあることだろう。
さまざまな理由から辞める決意をされたようだ。
すでに釜山に家も購入し、本国に戻る準備も整っている。
残念ではあるものの、帰らないで欲しいとも言えない。
素直に受け止めることとし、最終日には仲間と一緒に足を運んだ。
いつもの料理を食べ、いつも通りに楽しく飲み、
閉店後まで居座って最後はアジョッシと酒を飲んだ。
隣の店の社長や、近所に住む常連さんなども集まり、
開店当初の苦労話や、通い詰めた間の思い出話に花が咲いた。
寂しさはあるものの、心に残る時間を過ごすことができた。
釜山に帰るまでの間は、日本で少し骨休めをするとのこと。
店と客の関係ではなく、今後は個人的に連絡をしようと思う。
機会を作って一緒に食事をしたりもしたいものだ。
そして、いずれは釜山にも遊びに行くのだ。
恩返しにもならないが、顔を見せに行くくらいはしたい。
まずはゆっくり休んで頂き、釜山での生活が落ち着いた頃に。
今までのもろもろを感謝しつつ……。
チャンナム家、本当にありがとう。
<おまけ>
メルマガに登場したお店データ
店名:チャンナム家
住所:東京都新宿区百人町1-3-3サンライズ新宿1C
電話:03-3205-9233
営業:11:30~翌0:30
定休:なし
HP:なし
<おまけ2>
お店の人はかわりましたが、メニューや価格はそのまま引き継ぐそうです。すでに新しい体制で営業が始まっております。特に変わったところもありませんが、上のお店データは新しい店のものです。
<お知らせ>
チャンナム家の写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/
<お知らせ2>
今年から新たにブログを始めました。
日々食べている韓国料理の記録を残しています。
http://koriume.blog43.fc2.com/
<八田氏の独り言>
お店の人とよい人間関係を作る。
美味しいものを食べる最大の秘訣だと思います。
コリアうめーや!!第123号
2006年4月15日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com