コリアうめーや!!第100号
<ごあいさつ>
5月になりました。
新緑と陽光がまぶしい季節です。
いよいよゴールデンウィークにも突入し、
エネルギッシュに遊ぶ日々がやってきます。
山へ、海へ、川へ、田舎へ、海外へ……。
というごあいさつを、第98号で書きました。
あのときはエイプリルフールのネタでしたが、
1ヶ月たって本当に連休へと突入。
みなさんあちこちで羽を伸ばしていることでしょう。
そんな中、コリアうめーや!!はちょっとめでたい記念号。
2001年3月の創刊から4年ちょっとの歳月を経て、
ついに100号の大台を達成です。
いやあ、続けば続くものですねえ。
これもひとえに読者皆様のご愛顧のおかげ。
深く、深く感謝いたしております。
今号はその100号を記念いたしまして、
25号、50号、75号と節目ごとに書いてきた、
あの企画をもう1度やってみようと思います。
思い出に残る「あの人」をテーマに、
ガラにもなくちょっとしんみり語ります。
時計の針をキリキリと巻き戻し、
コリアうめーや!!第100号。
次なる大台を目指して、スタートです。
<あの日あの時あの人と……4>
美味しいものを食べた思い出がある。
あの日あの時あの人と、一緒に食べた味わい深い思い出がある。
韓国でもっともうまい酒は何かと尋ねられたとき、
僕は校洞法酒(キョドンポプチュ)の名をあげることにしている。
韓国の南東部、慶州(キョンジュ)市で作られる伝統酒のひとつ。
重要無形文化財にも指定されている由緒ある酒だ。
この校洞法酒の魅力は、味そのものもさることながら、
蔵元まで行かないと購入できないという希少性も大きい。
手造りにこだわって、機械化すらしていない。
当然、販売される酒も数が限られており1日に16本が限度。
蔵元の人が「台所で造る酒」と表現するのがよくわかる。
また、校洞法酒は賞味期限が極端に短い。
蔵元での直売しかやらないのはそのためで、
ラベルには15日以内に飲むことと書かれている。
大量購入はおろか、買ったものを保存しておくこともできない。
結果として、流通ベースに乗ることもないので、
校洞法酒はしばしば幻の酒と表現される。
僕がこの校洞法酒の存在を知ったのはテレビ番組でだった。
確かNHK-BSのドキュメンタリーだったと思う。
タレントのユンソナが鉄道に乗って、韓国の地方を旅していく。
その番組の中に伝統酒の蔵元を訪ねるシーンがあった。
ただ、このときの印象は、酒そのものよりも、
蔵元のハルモニ(おばあちゃん)のほうがはるかに強かった。
技能保有者に指定されている裵永信(ペヨンシン)ハルモニ。
ちなみに技能保有者とは、日本の人間国宝に相当する。
にもかかわらず実に気さくな感じで、
終始ニコニコとした笑顔で、じゃれあうように談笑していた。
テレビの画面からあたたかい人柄がにじみ出ているようで、
「へー、いつかこの蔵元に行ってみたいな」
と、そのときに思った。
それが実現したのは2002年の秋だった。
ふとしたことから、慶州の特集記事を書く仕事を頼まれ、
史跡や名所を回るとともに、校洞法酒の蔵元も訪れることになった。
もとより酒好きの身。蔵元の取材は大歓迎である。
これは仕事と称して堂々とタダ酒が飲めるな。
そう喜ぶと同時に、テレビで見たハルモニの笑顔が頭に浮かんだ。
「そうか。あの蔵元なら楽しい取材になりそうだ」
僕はウキウキした気持ちで取材申し込みの電話を入れた。
取材当日、指定された時間に行くと古い家屋の縁側に案内された。
と、同時に、取材は短めに済ませるよう注意を受ける。
「ハルモニは最近体調がすぐれないので……」
案内してくれたご子息の奥さんが僕に言う。
無理もない。僕が訪れた時点でハルモニはすでに86歳の高齢だ。
「では、要点を絞って質問させて頂きます」
僕はそう答え、最低限聞いておくべきことを考えた。
メモ帳に必要事項を箇条書きにし、特に重要と思われるいくつかには、
アンダーラインをひいて目立たせるようにもしておいた。
ところが、この準備がまるで無駄に終わる。
ハルモニは僕が日本人であることを名乗るや、
流暢な日本語で語り始め、その話はなんと延々2時間続いたのだ。
短めどころか、まとめるのが困難なくらいに盛りだくさん。
話の内容は校洞法酒にまつわることに留まらず、
家のことや、先祖のこと、家訓に至るまで多岐に渡った。
途中からは質問するどころか、メモをするので精一杯だった。
しかもこの間、僕は慣れない正座をしていたのでさらに大変である。
気さくな人柄とはいえ、こちらは取材をさせてもらう立場。
失礼があってはならないので、びしっとした態度を心がけていた。
だが、その気概が足のしびれとともに、もろくも崩れ去っていく。
そもそも八田家はまったく正座にこだわらない一家である。
法事のような改まった席でも、遠い親戚にあたる寺の住職から、
「あ、足は遠慮なく崩してくださいね」
というありがたい一言を頂くのが常である。
あぐらだったり、横すわりだったりしながらお経を聞き、
「ご一同様合掌」
という合図にも、一同あぐらで数珠を握りしめる。
「なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶ、ご一同様礼拝」
の合図には、あぐらのままペコリと頭を下げる。
合理的な家系であり、不必要に無理をしない家柄だ。
最初は正座でも、先方の好意には一族揃って甘えるようにしている。
ハルモニの前でも最初は正座だったが、ある程度で足は崩そうと思っていた。
そもそも韓国には目上の人の前で正座をする習慣がない。
日本式の礼儀なので、足は崩しても失礼にはあたらないのだ。
ただ、僕にとって予想外だったのは日本語ペラペラのハルモニが、
日本式の礼儀にも精通しており、僕の正座を好意的に見てくれたことだった。
「足を崩さないのは偉いわね」
とまで言われてしまっては足を崩すわけにもいかない。
「ええ、もちろんです!」
と、引きつった笑顔で答え、僕は2時間をひたすら耐えに耐えた。
僕の下半身はパンパンに腫れた2本の電気ウナギとなり、
最後はハルモニの話を聞きながらそのまま気絶しそうだった。
本来の取材という目的からすれば間抜けなだけの話だが、
振り返ってみると、それがよかったのではないかと思う。
折り目正しい日本の若者。
という印象を与えられたのかはわからないが、
ハルモニの話は僕の足がしびれるのと正比例するがごとく、
熱を帯び、細かく丁寧になっていった。
その後、蔵元のあちこちを見学させてもらい、
最後に校洞法酒を味見させてもらって、その日の取材を終えた。
後日、僕は記事を書き上げ、再び慶州の町を訪れた。
校洞法酒の蔵元に立ち寄り、出来上がった記事をハルモニに手渡す。
こんな記事になりました、という簡単な報告のつもりだったが、
ハルモニは眼鏡を取り出してきて、その場で1行1行じっくり読み始めた。
僕自身、気持ちを込めて精一杯書いた記事である。
読んでもらえるのは嬉しいが、その場でというのはやはり居心地が悪い。
ハルモニが記事を読む間は、正座の2時間よりも長く思えた。
記事を読み終えて、ハルモニが顔をあげる。
「私の話した通りに書かれています。とても気に入りました」
ハルモニはそう言って、にこっと笑った。
一気に解ける緊張。肺の底からあがってくる安堵のため息。
「ありがとうございました」
僕は手をついて、深々と頭を下げた。
いい勉強をさせてもらった。心からそう思った。
取材のときはグラス1杯を味見しただけだったので、
この日はきちんと1本購入して日本まで持ち帰った。
味見のときも、校洞法酒は充分衝撃的だったが、
自宅でゆっくり飲むと、その素晴らしさはまた格別であった。
黄金色に輝く液体は注いだだけでわかるほど濃く、
グラスの壁面をつたいながら、糸を引いて流れるようだった。
短い命の生酒でありながら、熟れた感じを持つ不思議な酒。
グラスを顔に近づけてみると、ふわっと甘い香りが漂う。
口をつけると、とろりとした舌触りとともに、
のってりとした甘さが舌先を撫でるようにすべり落ちていった。
その瞬間の感動を表現するのは難しい。
あえて例えるなら、空想上の筆を溶かした純金に浸し、
口から食道、胃をめがけて、ピッと1本線を引っぱった感じ。
液体の通った部分が、そのまま輝くかのような味だった。
この味に匹敵する酒を他に探すとなると、
日本酒でも、ワインでも相当な苦労をしなければならないだろう。
校洞法酒は韓国が全世界に誇れる酒だと思う。
そして、全世界が評価するべき酒だとも思う。
コリアうめーや!!はこれで100号。
校洞法酒の取材に出た頃はまだ40号あたりだったが、
その頃から、「100号は校洞法酒の話を書こう」と決めていた。
いつかは校洞法酒のように輝く話を書きたい。
と、目標に掲げた数字だったが、
100号という数字も過ぎてみればあっという間である。
創刊から4年ちょっと。
韓国料理の話をひとつひとつ積み重ねてきたが、
まだまだ校洞法酒の域には遠く及ばないようだ。
韓国には美味しいものがたくさんある。
その美味しいものひとつひとつに感動がある。
その感動を少しでも多く伝えられるよう、
次の101号から、また頑張っていこうと思う。
いつかは校洞法酒のように輝く話を書きたい……。
<おまけ>
韓国で文化財指定を受けている伝統酒は全部で3つあります。ツツジの花を漬け込んだ杜鵑酒(トゥギョンジュ)、梨の香りがするムンベ酒、そして校洞法酒です。そのほか安東焼酎(アンドンソジュ)、梨薑酒(イガンジュ)、など名の知れた地方の銘酒はたくさんあるので、好きな方はぜひ探してみてください。保存のきくお酒はソウルのデパートなどでも購入することができます。また校洞法酒は現地でないと購入できませんが、慶州に地盤を持つ酒造メーカーが慶州法酒(キョンジュポプチュ)という酒を全国販売しています。味はやはり比べ物になりませんが、法酒の雰囲気を楽しむにはよいと思います。でも、本物にこだわる人は、慶州の町をぜひ訪れてみてください。古都の雰囲気が残るいい町です。
<お知らせ>
校洞法酒の写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/
<八田氏の独り言>
100号記念に百歳酒を100本飲む!
という企画を立てましたが、身体を壊しそうなのでやめました。
コリアうめーや!!第100号
2005年5月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com